吉祥寺時代の仲間たち | tanakasrのブログ

吉祥寺時代の仲間たち

1989年。元号が昭和から平成に変わった年の3月20日。当時、第2新卒という言葉があったかどうかは定かでないが、創業230年という京都の老舗・たち吉の社風にどうしても馴染めず、創業10年にも満たないリクルートフロムエーに25歳で転職した。当時僕は離婚したばかりで、そのショックを相当に引きずっていた。「元号も改まり昭和は終わったんだ。離婚のショックから早く立ち直り、新しいスタートを切らねば」そんな自分の生活を変えたい思いで決意した転職だった。


結婚してわずか1年で離婚。新婚生活を過ごした江東区南葛西にあったメゾネットマンションから社員寮のある杉並区井草に引越した。社員寮は西武新宿線沿いの駅から徒歩1分という便利な立地にあった。外観は悪くなかったが広さわずかに13㎡ほどの極狭ワンルームマンション。バスとトイレが一緒になっているタイプで、体を洗おうとすると壁に手がガンガンあたり、湯船でゆっくりなどとてもできない。また線路沿いだったため特急が通過するたびにゴトゴト揺れた。窓を開けると激込の通勤電車がノロノロ運転している様子がよく見え、新聞を八つ折にして車窓にくっついているサラリーマンとよく目が合った。そんなこんなで、新しい生活が始まった。最初に配属先されたのは吉祥寺。仕事はリクルートの求人誌「フロム・エー」の広告枠を売る営業だった。


社風の違いに戸惑ったことをよく覚えている。それまで上司を役職で呼ぶのが当たり前だったが、フロムエーでは「さん付け」で呼んでいた。社長も「さん付け」だった。カルチャーショックだった。入社して先輩に営業同行させてもらったが、昼休みにその先輩は僕より年下でしかもアルバイトだということがわかった。営業所の従業員はみな正社員だとばかり思っていた僕は驚いた。後で聞くと営業所の社員は数名で多くがアルバイトだと知らされ2度驚いた。社員、アルバイト関係なく同じ仕事をしていることは不思議に思えたが、そのことはすぐに忘れた。

始業前は営業勉強会で毎日ロールプレイ、昼は営業活動、夜は広告に載せる原稿を作った。毎日ホントよく働く会社で、仕事が終わるとほぼ毎日飲みに行った。遊びも半端なかった。原田知世の「私をスキーに連れてって」がヒットしたことがきっかけだったと記憶しているが、当時はスキーブーム。金曜夜営業所前に集合して毎週のように神立や岩原に出かけ、時にはナイターまで滑って翌日仕事という強行軍もしばしばやった。いまはとてもできない。


研修期間は3月末日までで、4月になったら吉祥寺駅周辺のお客さんを引き継ぎ営業目標がついた。入社してわずか10日。営業経験のない人間に独り立ちさせる会社にまた驚いた。翌春になると新入社員が配属されてきた。新人の初仕事は井の頭公園での宴会の場所取り。僕も同行した。当時はまだ携帯電話が珍しかったが営業所には弁当箱大の携帯電話が数台あった。昼間からの場所とりで時間をもてあまし携帯で営業所へ何度か電話した。「あ~、俺や。例の物件5億で買っとけや。え~安い?ほな7億やったらどうや…」当時、携帯を持っているのはそのスジの人か不動産やくらいのもの。通りすがりの人たちのリアクションがおもしろく携帯を使ってその手の遊びをよくやった。日経平均が4万円に迫るバブルな時代だった。



きのう吉祥寺時代をともに過ごした仲間数名が集まって飲んだ。飲みながら話しながら僕は当時のことをあれこれ思い出して楽しんでいた。ともに過ごした期間は3年ほどだったがとっても濃密だったあの時代。みなそれぞれ仕事は変わり生活も変わったが20年経った今でもこうして集まれる仲間がいることが何よりの財産。リクルートフロムエーという会社はリクルートHRマーケティングと社名を変え、同期も上司もほとんどが会社を去った。大好きだった求人誌「フロム・エー」もなくなってしまったが、大きな財産が残った。仲間は本当にありがたい存在であり誇りだ。吉祥寺から神田、梅田、淀屋橋、西梅田、神戸、銀座と拠点も随分変わったが、どの拠点にも吉祥寺と同じような関係の濃い仲間がいる。ありがたいものです。