「震」えた1995年という年 | tanakasrのブログ

「震」えた1995年という年

1995年は転機の年だった。

当時、リクルートの求人誌の広告営業だった私は32歳。神田営業所で自転車に乗って朝から晩まで求人広告を集める仕事をしていた。globeが「Feel Like dance」でデビューし、小室ファミリーの黄金時代が始まった年。まさか、T・Kが5億円もの詐欺容疑で逮捕されることになろうとは…。

当時、神田界隈はバブルの傷跡がまだ残っていて、空きテナントが多く、たしか広告はあまり売れなかったと記憶している。今、振り返り調べてみたら、95年という年は、バブルが崩壊した1991年2月から仮称:いざなみ景気が始まった2002年2月の狭間に位置し、年初の株価19,684円、年末20,011円と16%上昇して終了した年だった。8000円前後をウロウロしている今の株価と当時の雇用情勢をみると、当時の失業率が3.1%、2008年が4.0%。確かに今の方が悪いが、それにしても今の株価は実態よりも安いように思う。先行き不透明なことを株価は嫌うことを考えると今は、先がまったく見えないことを実体経済よりも低い株価が示しているのだろう。

14年前の今日、朝のニュース番組で阪神大震災を知った。神田営業所では関西で大きな地震があったと話題にはなっていたいたものの、まさか6000人以上もの犠牲者をだした震災だったなど当時は夢にも思っていなかった。大阪に住む知人に連絡をしたが電話が繋がらない。関西支社も繋がらない。阪神高速が分断され、帝産バスの車体半分が落ちかけている様子をヘリから映した夕方のテレビニュースを呆然と見ていたことを思い出す。亡くなられた方にはご冥福をお祈りします。

3月20日にオウム事件。いつものように自転車で営業に出かけ営業区域だった日比谷線小伝馬町駅周辺にいくとおびただしい救急車、パトカーの数。騒然としている、何が起こったのかまったくわからなかった。10月、大阪梅田営業所に転勤。昭和が終わった年に入社し、吉祥寺、神田と7年間過ごした東京を離れた。2度目の結婚を決意したのも95年だった。

あれから14年。振り返れば記憶に残る人生の転機となった年だった。