今朝は早朝四時ごろに一度トイレに起きたが寝なおし、七時に布団から出た。
最近トイレが近いのだがまさか年?!
朝食を食べてから犬の散歩に行き、家を出る。
今朝も体が楽だ。重しがついているような足の重さがない。
電車内は今朝も人がまばらでいて、わたしは居心地よく座席に座って小説の続きを読む。
海辺のカフカは田中さんがとうとう主人公のいる四国にやってくる。入口の石とやらを探しているが皆目見当がつかず、困り果てるところだ。
図書館に住みだした主人公のカフカくんはお母さんかもしれない人の少女時代の幻の姿に恋におちる。
なんとも不思議な話だ。こういうのをファんタジーとうのだろう。
しかし普通のファンタジー小説は読者がこういったもの、と受け入れるのに対してこの海辺のカフカは常に不思議でしかたない。
すんなりとそういうものなんだな、と受け入れられないのだ。
妙なシュールさがあるんだよなあ。
下巻に入ったが続きが気になる。
作業所では今日も今日とて絵を描く。
何のために描くか、暇つぶしである。
今日は面白い話が聞けた。ある利用者さんのお母さんは映画マニアらしい。
いつもリビングのテレビを占拠して、エイリアンからダイ・ハードまでなんでも観る。凄いことは10回も20回も同じ映画を観る。
何回も観ることで考察を深めたり、新しい発見を探すのかと思いきや違うらしい。
なんとそのお母さんは映画の内とと結末をすぐに忘れてしまうらしい。
だから常に初めてみる作品のようにどきどきしながら見れる。
素敵だなあと思う。
しかし
日記をこうして書いているとわたしは既視感に襲われる。
こんな一日をわたしは前も過ごしたのではないか?
微妙に違いはあるものの内容も結末もほぼ同じな毎日。
わたしも常に映画のように毎日予想もつかない偶然のばたっりの内容で日常ができていて、結末を知らいないエンディングが毎日来ないものか?とおもいうつも小市民のわたしは代り映えしない繰り返しの毎日に満足してしまうのだ。
わたしが物語の主人公になることは絶対にないだろう。
帰宅して小説を書いて寝る。
今日もいつもの日、変わらない日、おやすみなさい。