かったるい眠い春である。草木が萌え出、春は身体の調子を崩す季節でもある。

脳みその調子が悪い私も例に漏れず、最近感情が戻ってきたのはよいが、ある日は興奮したり、ある日は抑鬱ぎみで困っている。


 興奮するとめちゃくちゃ楽しくなってしまうのが思えば私の治療を妨げている気がする。躁の時は本当によい。世界に対する万能感と生きる喜びに満ちている。アイデアはいくらでも浮かぶし、無口な私も多弁になり舌がくるくる回る。

鳴かず飛ばずの私のツイートも勢いが出て、伸びがちになる。

思考が散漫になり文章のまとまりがなくなるため文章の執筆には向かないがいくらでも書けてしまう。私は体験したことがないが、人によっては仕事まで楽しく通えるらしい。

とにかく生きていている、ただその事の喜びに満ちるのが躁病というものだ。



 しかし躁だけの人は少なく殆どの患者が鬱状態を体験することになる。私の場合、気分が悪くなり怠くて起き上がれなくなる。朝布団から出れなくなるし、人によっては不眠を訴えるらしい。

私は過眠がちになるのだが、症状は人によって異なるということだろう。

とにかく気分が滅入る。文章だって今嫌々このブログを書いている始末だ。

ただ思考が纏まるのは鬱状態のほうだ。文章も鬱のときに書いたほうが少しマシな気がする。


 ある躁鬱の方の話なのだが、躁鬱の人間は躁のときにアイデアを沢山出して、鬱のときの論理的な思考状態で文章を書くとよいらしい。

確かに、これは的を射ている。毎日小説を書く習慣のある私だが、気分がよいときの文章というものを後日読み返すとめちゃくちゃで修正点ばかりが目につく。

書いていて楽しいのは躁のときなのに、嫌々文章を書く鬱の日のほうがよく書けるというのは中々皮肉だ。


 気分が悪くて食欲もないし、あー全部嫌になっちゃうな。