最近私は意図的にあえて色々と自分の日常生活に絡めて想像することにしている、そして日々考えたことをこうして文章にしている。


 想像したことはメモに残す。ネタに使えるかもしれないからだ。日常の中であのキャラならこうする、あのキャラならもっとうまくスマートにこなしてしまう。


 私は小説の地の文の基本となる心理描写、情景描写、特に行動描写が苦手だ。ゆえにセリフと最低限の動作のみで登場人物を動かすことになり、内容が伝わらない上に読んでいて殺風景な小説になる。ゆえにこうして頭の中でキャラがどう動くか考える習慣をつけるようにしているのである。


 この行為は楽しいようで時にとても虚しくなる。私はよく生きている事すら虚しくなるのだが、その一端だと思う。想像上の人物の行動を想像してなんになるのだろう。しかし、どうも人生とは基本虚しいものらしい。ある日全てが、息をしていることすら虚しくなる。これは仕方ないことだ。本当のことなのだから。だから私はこの感情を受け入れることにしている。虚しい気持ちをありのまま肯定するのだ。すると少し楽になる。


 こんな感情今までなかった。私は精神科の薬でこういった感情を脳を麻痺させ感じないようにしてきた。恐れも、苦しみも悲しみもない世界だった。躁鬱が酷いときは人生は祝福されていると思った。喜びと高揚感しかなく私はとても興奮し、そして幸せだった。


 私は毎日の中で、今ほどほどに幸福を感じて、ほどほどに絶望する。そして時々辛くてたまらなくなる。


 これが本来の私なんだと思う。今までは薬と病に脳が麻痺し、壊されていた。

いまの不安に向き合う私が、虚しくてたまらなくなる私が本来の私だ。

正直どちらの状態が良いのかは分からない。壊れていた私は間違いなく幸福だった。躁がないときは薬のおかげで心は凪ぎ、苦しみも不安もない調和の中にいた。

 でも生きていくことは傷つきながら進んでいくことだ。だからこの不安や虚しさを受け入れよう。


 こうして日々ぼんやり考えたことが文章になって形になることは不思議だ。面白いとさえ思える。ブログが同じような内容になっていることを自覚しつつも、これは個人的な日記みたいなものだからええんやと言い訳をしつつ今日のブログを書き終えたいと思う。