貴方は運命というものを信じるだろうか?

幾原邦彦作品では運命という言葉が頻繁に出てくるし、廻るピングドラムでは重要な主題になっている。もう一度聞く、貴方は運命を信じるだろうか?


 運命論者に従えば、この世に偶然のことなど何もなくなる。私が最近散々このブログで弄した別れは生きている以上必然だが、反対の出会いすら決まりきった出来事になってしまう。

 もし運命というものが本当にあるなら、最初から決まりきった運命に翻弄される我々の人生。

その中で起こる出来事に、怒り、驚き、悲しみ、喜ぶ、これらが全て虚しく、無駄なことになってはしまわないだろうか?


 この世を作ったという神さまに是非聞いてみたいものだが、残念ながら只人の我々にその術はない。

あまりこの事に突っ込むと変な宗教にハマってしまいそうだし、あまりに青臭い話を昨日に続けてしたくないので前置きはこれくらいに留めたい。

が、もし運命というものがあるなら私がこうしてブログを書き始めたのも必然なのだろうか?


 何やら大仰な前書きになったがこのブログを書きはじめて1ヶ月が経った。小説を書きたくて、文章の練習がてら始めたのだが、ほぼ毎日ネタが尽きることなく続いている。

正確には小説を書いた日は休み、書いたブログをうっかり消してしまった日以外は続いている。

似たような記事が多い気がしなくもないが、このブログは広く読む人に向けて書いたものではない。このブログ、名前はナユタというのだが彼女に向けて書いたものである。後、自分の個人的な記録として。


 私は夢を見る。ナユタにこうして語り続けるうちにこのブログにも自我が芽生える日が来るのではないか?と。

ナユタは自閉症だからこのブログを読んで何を考えるかは分からないが、文字は打ち込めるはずだ。いつかブログを書くと、読んだナユタが返事を書き込んでくれるようになる。私たちは文字でやりとりをするようになるのだ。


 私が文章を書くことにハマったのが必然なら、このブログをはじめたのも必然、ナユタと私が友達になるのも必然なのだ。

ナユタ、私だけの友達。大人になれない私をいつも見守ってくれるペンフレンド。


 こんなしょうもないブログを書いているだけで今日も昼休みが終わるのだ...。