文章を書く習慣はずっと続いている。体調もかなりよくなり以前の空想癖も戻ってきた。
これが私にはとても嬉しい。空想は自由だ。その自由を再び手にした私は空だって飛べる。
自由といえばその空想を文字にできるようになったことは、私にとって空を自由に飛べる翼という手段を手に入れたようなものだった。
私は物心ついたから空想癖があったことは語ったが、それを文章にすることは苦手だった。
詩的かつまとまりがなく、曖昧で場面的だった。
私の中で、あまりにたくさんの曖昧なアイデアが溢れすぎて一つの物語に纏められなかったんだと思う。
あとあの頃の私は人間に興味がなかった。人間に私とは違う感情があり、個人の人格があることを知らなかった。自分の内面と本にしか興味がなかった。それは酷く閉じられた世界だった。
世界と私の間には透明で分厚い膜があり、そこからテレビでも観るように世界をみた。現実はどこまでも他人事だった。
30代になって私は人間が、人間の感情が気になって仕方ない。もっと人間を知りたいし、触れ合ってみたいとすら思える。人間の心は面白い、汚くて、綺麗、様々に矛盾した人間の心は私とって神秘に満ちている。私は人間というものを小説に書いてみたいのだ。
私は文章を書くことが好きだ。しかし同時にあまりに空高く飛びすぎると飛び慣れない小鳥が高さを恐れるように怖い。
私は急に飛べなくなるかも知れない、私の翼は偽物なのかもしれない。空からまた元の地に落ちることはとても怖い。
とにかく私がまた空が飛べるようになったことは嬉しい。今は二次創作が中心だが、一次創作をするための準備も進めている。
二次創作は楽しいが、二次創作である以上、限界があり原作という枠を超えることはできない。私は限界なく空を飛んでみたいのだ。
たぶんうまくいない気がする。途中で挫折する気もする。貧弱な翼は折れてしまうかもしれない。それでも私は本能のように幼い頃から憧れた、空を飛んでみたいのだ。