リハビリ日記 目利きの理学療法士1 | malika project  lei for the people, nature and the earth...

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愛にあふれて流れながら歩いて行こう♪ 日々遊びに満たされ、笑顔で生きて行くmalika projectディレクターmomoyoのダイアリー

退院が決まると、理学療法士やソーシャルワーカーの方は、退院後に向けての準備にかかる。
リハビリ入院だったので、最長2カ月の入院が可能なのだが、今回大変お世話になった看護師さんが、入院当初、

退院のタイミングというのがあって、それを過ぎても病院にいると、逆効果になる場合がある

といったことを、話していた。

私もそれに納得した。病院では、何でもしてもらえるので、自分で行うことは、制限される。痛みが強く、何するのも大変な時は、それはとてもありがたく。
痛みもかなり減り、歩行訓練中心になった時、どこのタイミングで退院するかは、なかなか難しい。徐々に回復しているので、「ここまで出来たら」というのがない。
ここで退院したら上手く自立していくだろうというタイミングを逸すると、病院は手取り足取りなので、せっかくここまできたのにというピークから、まただんだんと下がってしまうようだ。

2年前大腿骨を骨折した時は、丸々2カ月リハビリ入院した。

今回は、どうなるか。
退院のタイミングを考えることなく、日々をこなしていたが、ある時、突然それが現れた。

担当医がインフルエンザになり、そこから感染し、私もインフルエンザになった。普段薬を飲まないが、院内にいるものだから、しょうがなくインフルエンザのクスリを飲んだ。しかも、まだ発症してない時に、同じ科の先生が慌ててやってきて、予防のためにこれを飲んでくださいと、タミフルを持ってきた。それは飲まなかったけど。
インフルエンザは、数日で熱が下がっても、5日だか1週間だかは病室から出られない。もちろんリハビリもなし。
入院している意味がない。
病室でじっとしながら、うかうか入院していられないと思った。またインフルエンザになって、何もしないでここにじっとしているのも、嫌だし、薬を飲むのも嫌だし。
それがきっかけで、退院への動きが出てきた。

インフルエンザに感染した時は、良い子な私は、仕方がないと思ったのだが、病室でリハビリもできずじっとしていたら、なんだかだんだんイライラしてきて、悪魔な私が出てきた。

そういえば、担当医は、ベッドの横でマスクもせずに話していたことを思い出し、真冬でインフルエンザが流行っている時期に、患者を目の前にして、それはないだろうと、怒りが出てきた。
看護師さんにそれを言ったら、担当医が手紙を持ってやってきた。

何か大切なことが書かれているのかと思いきや、マスクをしなかった理由?など、言い訳が書かれていた。

マスクをしなかったのは、表情がわかるようにです。

と。

え???

別にわたし、先生の表情見てないし、先生の表情とか気にしてないし。
それより、「マスク」の方が大切じゃない?

と思ったら、またまたイライラしてきて。
看護師さんに、言ったら、再び手紙を持ってきた。
見ても仕方がないと思ったので、手紙は開けなかった。
看護師さんに、もう渡さない方がいいですよと言われたにもかかわらず、先生は、手紙を持ってきちゃったの。

私は病室から出られないから、なんだろう、この逃げ場のない感じ…

そんな経緯もあり、早く退院したいと言ったし、理性の効かない医師に不信感も出てきた。
以前、抗がん剤をすすめられた時、抗がん剤はしませんと言ったら、じゃーもう診ませんって言った先生だったし、尚更。

インフルエンザ事件は、まあまあ大変なことだったんだけど、おかげで、退院のタイミングができてよかった。
神さまは、人々が望んでいることではなく、人々にとって必要なことをお与えになると、グルジ(パラマハンサ・ヴィシュワナンダ)はおっしゃっている。

インフルエンザになりたいなどとは思わないけど、退院するために必要だったんだなと、思う。
そういえば、朝カーテンを開けにきてくれる方が、いつもは何も言わないのに、その日は話しかけてきた。

テレビでインフルエンザが流行ってるって言ってましたよ。

と。いつもはお話しないのに、今日に限って、なんでそんなこと言うんだろう?と、一瞬思ったが、
院内では流行らないといいですね。と言葉を返した。
それは、担当医がインフルエンザにかかる数日前のこと。

あれは、神さまの前振りだったのかな。

インフルエンザ中やその後も、看護師さんやお友達に、インフルエンザ事件の話をした。
何度も話しながら、気がついたことがあった。
事実だけを話せばいいのに、なんか、私すっごく責めてない?
と。
あれ?なんでこんなに責めてるんだろう???
と、気づき内観しながら、
自分のことを責めているからだ。
ということに気づいた。

わー、この後に及んで、まだまだ自分を責めてたんだ。
多発骨転移から生還した翌年、2014年にインドでアーユルヴェーダのパンチャカルマを受けていた時、チベット瞑想の本を持参していて、そこにあった瞑想をしながら、0歳の時から今までの自分に慈悲を送り、愛に包まれたはずだったし、グルジに出逢い、その愛の中で、愛を育んでいたのに。

まだまだ、自分を責めていた。
そのことに気づいたことは、とても大きなことだった。
その日から、母親の子宮にいた時から今までの自分に、1年1年ジャパ瞑想をし、神さまの祝福を注いだ。
子宮にいた時から3歳ぐらいまでは、涙がとめどなく溢れてきた。
まだまだ癒されない何か大きなものがあったことに気がついた。
それとは、反対に、グルジに会ってからのここ数年へのジャパ瞑想は、涙を流すどころか、愛に満たされていてしあわせだった。
グルジの愛に巡り逢ってからは、全くエネルギーが違った。
すごいなぁ。ありがたいなぁ。しあわせだなぁ。
と、改めて思うこともでき、インフルエンザ事件は、意外とたくさんの恩寵を与えてくださった。
やっぱ、苦しみは苦しみじゃないんだね。
愛に気づくためにあるんだね。
あんなに責めたてた担当医のことも、もはや何も思わなくなり、むしろ、いろんなことに気づくきっかけをつくってくださったことに感謝をしてます。担当医は、変えて頂きましたが。

目利きの理学療法士の話を書くんだったんだけど、まったくそこまでたどりつかなかったね。

その話は、また次回につづきます