5月25日、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)のホームページに、平成22年版「子ども・子育て白書..........≪続きを読む≫
このニュースによりますと、経済的理由よりも「結婚するに適切な相手がいない」という割合のほうが多いようです。
結婚するのに適切な相手とはいったいどのような相手でしょうか。
はっきり言いましょう。
それは、自分に都合のいい相手です。
しかし、現実にはそんな相手はまずいません。
私個人は、なにも落ち度のない相手に、「自由でいたい花房が、なぜ結婚したのか」とどならせてしまった。奔放といえば聞こえはいいが言い方帰れば家庭を顧みない勝手な女性であるということで、それでもいいといってくれた配偶者に甘え、その甘えはエスカレートし、人としての礼儀や恩を欠き、愛情をはき違えた行動に向かっていき破たんに向かったわけです。
私にとって、都合のいい相手ではありません。
そんな人間は、どこにもいないのです。私がなくしたのは、相手を好きだという気持ちに驕り、相手を尊重する気持ちを忘れてしまったそのことなのです。
もともと、価値観は著しくずれておる。考えは合わない、そういうことのいろいろをわかって、その上で結んだ婚姻契約でした。
婚姻しない。そういう選択肢もあったのですが、そちらではなく婚姻を選んだ。そして配偶者になった男性も、同じ選択をしてくれた。
ならば・・・私はもっと正しい方向で努力できたはず。それは、失って初めて現実的に腹におちりかいできたことでした。
冷静に考えて、生活や役割など考慮して、もしくは家同士の話し合いや繁栄などで結婚するのもあるでしょう。それにしたって、そこには利害があり、情もあるのです。人として思いやりや尊敬する気持ちを持てなければ、心は苦しいだけです。
でも、冷静な花房はそうやって話してきた。
しかし、私の心の灯子は違った。
この女は、「それでも恋は、どんな恋でもないよりかずっとまし。」とまっすぐ自分を見据えて話すのだった。
とうことはなぶさがいつも矛盾した意見を、お互いがはっきり言う。
だから私はいつも闘っている。
恋を忘れた人間を非難するんじゃなく、ただ、傷つけあって死にかけて終わる、燃えカスしか残らない恋愛であっても、ないよりましと・・・ただそう思う。
いちども男(男性側から言えば女、同性愛者からいえば同性との事実婚)と結婚を経験しない人生は、なんだかさみしく思えてしまうのであった。