昨日,断捨離をしていたら,ずいぶん前に買ったヨモギ茶が1回分だけ残っているのを発見。

今日の食後に煮だして,夫と飲みました。

 

1回分だけ,とか,あとちょっとでなくなりそう,という量で,なぜか飲まなくなったり,食べなくなったりして置いたままのものがしばしば見つかります。

 

あとちょっと食べ終わりそうな蜂蜜もキッチンに眠っています。一時期は,毎日のようにヨーグルトに入れて食べていたのに,あと少し,というところでピタッと食べなくなりました。

 

どうして使い果たしたり,食べつくしたりせずに放置してしまうのか。

自分のこの行動をよくよく観察すると,そういう途中で放置される食べ物や飲み物は,たいてい「ちょっといいお値段だったもの」であることが多い。

 

つまり,食べ終わる→また買いたくなる→でも高いから買うとお金なくなる→いまあるものを大事に食べよう→あと少し残して放置,という図式が出来上がっているようです。

 

今回見つかったヨモギ茶も,完全無農薬のものでまぁまぁいいお値段。

うっすら瓶に残っている蜂蜜は,遠路はるばる出かけた十津川村で買ってきた非加熱のもの。

十津川の遠さを思うと,なくなったからまた買いに行こうということはそう簡単にはできない。

だから,つい,無くならないように,としてしまうんじゃないかな,と思います。

 

だけど,そうやって置いておいて賞味期限が切れてしまったり,おいしさの旬を逃しているのは,それを大事にするということとは対極の行動だな,と気が付きました。

 

ちょっと古くなったヨモギ茶を煮出しながら,いいお値段だったものは,おいしいうちに食べつくして,「あー。おいしかった。また買おう」とライトに思える私でありたいと思った夜でした。