今朝たまたまあさイチを見ていたら、直木賞作家の人がゲストに出ていました。山本文緒さんという、一時体調を崩したことをきっかけに軽井沢で無理をしない暮らしをしながら執筆をている作家さん。私は読書家ではないものの、作家さんにスポットが当たっている番組が大好きで、ついつい今日も見てしまいました。で、なんでこんなに作家さんって魅力的に映るんだろう…と考えていたら、昔のことを思い出しました。
私小さい頃、文章を書くの大好きだったなと。今回はその辺のことを振り返りたいと思います。
・小学生時代
最初に「書くの好き!」思ったのは小2の時でした。詩を書いて発表する授業があって、なんとなくリズムの中に言葉をおさめなきゃいけない感じが好きで、将来の夢が詩人になりました。作文も好きではあったのですが、情景描写が書き終わらず何十枚も書いてるような子でした。学年があがるうちに好きな文体の本を発見して、そのシリーズ本をたくさん読むようになりました。その功もあって、小4ぐらいで作文の方が好きになりました。ある日エッセイっぽい作文が表彰されて、夢はエッセイストに変更に。もう喋らなくてもいいかと思う程、当時は書く方が好きで、原稿用紙と向き合っている時間が一番素直になれました。ただ小5、6ぐらいの中学受験をする頃、優等生っぽい内容や正解の文を書かなければという気持ちが強くなってしまい、受験には対応できたものの、作文等で自分の言葉で書くのがとても苦手になりました。むごい。
・中学時代
中学に入ると、国語の先生が面白い人だったこともあって、また「書くの好き!」と思えるようになりました。けど、読書感想文など強制力のある課題が多かったり、書いたものが成績として評価されたりもして、書くことの窮屈さをここで更に感じるようになりました。音楽のオーケストラの感想文を書く時が一番自由に表現できる場だった記憶です。思えば、大喜利のような形式で、お題をポンと出されてさあ自由に書けと言われるのが好きだったのかもしれません。
・高校時代
高校はもう、現代国語や古文の授業が完全に受験対策という感じで、文を読む楽しさを一切感じなくなっていました。自分で小説を買って読んだりもしなくなっていたし、高校になると作文って求められなくなるし。ただ、その代わりに興味を持ったのが政治経済と倫理。社会の仕組みとか、どういう思想があったか等、詳しいことはよく分からない、けどとても刺激的!という感じでした。そんなこともあって、社会派テイストの執筆に興味を持ちました。雑に書いた高校生の提言的な小論文がなぜか選ばれたこともあって、当時フリージャーナリストなんていう職業も流行っていたことも相俟って、将来の夢はジャーナリストになりました。
・大学・大学院時代
縁あって大学院に進学したのですが、論文を執筆している中で、他の人よりも書くことが億劫ではないことに気づきました。ただ論文というのは知識を十分につけたうえで、整理して、最後の最後に見解を書くというもの。いわば大半は文献整理としての執筆。(文系ならではだと思います)もともとの文章好きが上手くはたらく私は執筆は進むし、修了もできたのだけど、そもそも研究分野に対する熱量が低いせいで何かが足りないと自分でも分かってしまいました。そして、騙し騙しこれを一生続けてくのは精神がもたないということも分かりました。ファッションオタクは、本当のオタクから見ると全然作品を愛していないと言われるという画に似ていると思います。それなりに評価してくれる教授、研究熱心な同期や先輩、そんな人たちに合わせる顔が無いと思ってしまう瞬間が多すぎたんです。とにかく、大きな窮屈さをここでも感じてしまいました。
何はともあれ、こうやって書いてみると学生時代の私は、結構執筆とつかず離れずの関係でいたようです。多分、作家さんに魅力を感じるのはこうした理由のせい。周りがどんな環境であれ、自分の世界を守り続け、作り、表現し、更には感動へ導いていることへの尊敬や憧れの念が大きくあるのだと思います。
執筆は自分にとってずっとずっと、心の拠り所として在り続けるのかな。今日も吐き出すように文章を書いてしまったけれど、また誰かに向けて文章を書いてみたいなとちょっと思いました。
