6。音楽 徒歩人生
前回 初めて東京のピアノの先生に習い始めた経緯をお話ししました。
先生のお名前は 青山三郎先生とおっしゃいます。 青山先生のプロフィールです http://www.saturn.dti.ne.jp/~machida/saburo/saburo.htm 永井進先生や巨匠アリシア•デ•ラローチャ教授に師事されていました。 お若い頃は非常に ディテールに こだわる 教授法をなさったようですが 私の時には誰に対しても ほんの一言二言、のアドバイスで 私はそれが普通 と思って18歳まで育ちましたから 具体的に何をどうして良いか分かりませんでした。
それでもうるさく叱られなかったのは 音楽的な自由を得られたという意味では放牧されていて良かったかもしれません。 先生が時折おっしゃるのは 「そこを もっとつおく(強く)」「 そこはもっと ピアノで」「 なんだかわけがわかんないように弾かないの」 よければ良いで 「はい いいでしょう」と 次の課題をくださるわけです。逆にそのお言葉が出ないと永遠に同じ曲を繰り返すことに なるわけです。 その状況が2回続くと レッスンに付き添ってくれる父や母に今日もその曲上がんなかったじゃないの、 と帰り道で小言を言われることになるわけです。 小3から通い始めたのですが 小4では 父が 入退院を繰り返したりで家族にとって試練の時でしたがそれでもレッスンは続けさせてくれました。 その頃の レッスンに 定番は ツェルニー40~50番から2ー3曲、 補足でヘラーや、ブラームスの練習曲( 青山先生が校訂されました)
バッハ:平均律 プレリュードとフーガ1曲と トッカータ など 他の作品
ベートーベンのソナタ1曲 上がらない場合には それと 新曲
ロマン派と言えば シューマンが主なものでした。
先生はショパンを こよなく愛されていたのでしょう。子供にショパンはくれませんでした。
リストの練習曲や タランテラ、 特に私はそんなに思い入れがなかったのですが 父が勝手に「この子はリストが好きなんです」 と言ったせいか 勉強になるタイプのリストの曲を次々くれたのですが タランテラをたまたまうちの近くにあったナザレン系のキリスト教短期大学の夏期英語講習最終日パーティーで 何か弾いて言われて披露したところ異常に盛り上がったのでVirtuosoの曲ってサッカーみたいに盛り上がるんだなと思いました。 周波数を上げるんでしょうかね。 私は先生がラローチャの弟子だったということは当時 まるで知らずに 家にあったEMIの ロマン派 後期から印象派 までのピアノ曲レコード全集で愛聴していた ゴンサロ•ソリアーノのグラナドス が弾きたくてしょうがありませんでした。 ある日 こっそりお小遣いで池袋のヤマハでその楽譜を買ったときのどきどきは今でも忘れられません。 しかし 家で弾くことは許されませんでした。父も母もそれは教育的レパートリーから外れるということで 先生に与えられた課題以外練習するのを許してくれませんでした。 ショパンの幻想ポロネーズでさえそうです。 誰も家にいない時 こっそりと 譜読みをしていました。 続く