母の元 バイエルの赤と黄色の上下巻を 2回繰り返してやり終えると 私はブルグミュラーと ツェルニー30番を稽古しました。 母の判断では100番、 110番はいらないと思ったそうです 。
今も思うのですが ブルグミュラーはつくづく本当にうまく書かれている曲集です。メロディーも美しいし初心者にも読みやすい楽譜の書き方がされており フレーズ感が美しいです。 そして子供心を鷲掴みにする 音楽で溢れていますよね。 その頃になると私の先生は母から父になっていました。 そのうちハノンを開始、 バッハのインベンションが増え、 ソナチネが増え、 両親は行き届いたことに それぞれのお手本用のレコードを買ってくれました。 自分たちが ピアノ出身ではないので きっと正しいお手本を聞かせたかったのでしょう 。今思うと贅沢な話ですが 毎日のように色々なチェックが入り、というか怒られておりました。練習が弛んでいると人参が飛んできて頭にあたり とても痛い思いをしたものです。 そして 小学校3年の頃になると 父は自分の恩師である東京の青山先生に子供を師事させようと思ったらしくレッスンはさらに厳しくなりました。 父の夢であった、私をピアニストにさせるということ、それを叶えるためにまず 国内で音楽大学に入れなければいけません。 毎日曜日ごとにソルフェージュのレッスンが付け加わりました。 音符を書く練習ならちょっとはやっていたのですが聴音という聞いた音を楽譜に書き記す という 作業 。またまた不得意で絶対音感はあるのですが リズムや拍節感がなく4小節のはずなのに足りなくなってしまったり あるいは 余ってしまったり。 とても悲しく気持ちは焦るし 父はますます イライラしてくるしそれに反比例して手はのろのろと。
それに要領の悪いことに父がメロディーを弾いてる間に私は 間違った音を消しゴムで消していて音を取れるどころではありませんでした。五線紙の上に涙がポタポタと垂れることも毎週のようにありました。今日はこのソルフェージュに関して書きます。父からのレッスンは両親が離婚するちょっと前まで続き、それ以後は私の高校の生物の先生がお嬢さんが芸大の声楽学生だったので彼女にレッスンしてもらうことになりました。 彼女は 美人ですが 一風変わったサバサバした性格の方で なんと私がはまっていた少女漫画家、青池保子氏の大ファンでした。 相変わらずな出来の私の聴音でしたが種類によっては 4ー5回続けて聴いて記憶したのを一気に楽譜に書き写すという暗記聴音があります。 その時に彼女は さっさと引き終えたかと思うとくだんの漫画を一人で読みはじめたのです。 私は書き取らなければいけない作業中先生はすることが何もないわけですから 何をしても先生の自由なのですが半ばあきれ半ば尊敬し、いつしか自分はこれではいけない、と思うようになりました。 そしてついに東京でのレッスンの帰りにヤマハに寄って初めて自腹を切って カセットテープ付き聴音練習問題集 音楽の友社 というのを買ったのです。 高校入学祝に買ったテレコで再生し独学してみると なんとまぁ スラスラとわかるではありませんか 開始前に メトロノームの音がついてテンポが明示されていたので分かりやすいこと 分かりやすいこと。父もこうしてくれていれば良かったのに。 それに ピアノ出身でない父の演奏はためがありすぎて正確ではなかったかもしれません。 テープ学習では各小節の頭の音を死守して書き取っていけば良いことも分かり、後はわかるところだけに集中して仕上げ埋めていく作業で何とか4回で仕上がることが分かりました。 問題集の解答で自分で答え合わせができることで父や先生に非難されることなく 自分で間違いを理解し反復練習することで実力がついて行きました 。 ある時例の漫画の先生が「最近できるようになったね」とあっさり褒めてくれ、 さらに自信がついた私は 苦手から 一転、一挙に大得意になり芸大の作曲学科の聴音まで取れるようになりました。 人間何がきっかけ で実力が伸びるかわからないものです。1人の先生やある一定の時期だけで自分の実力に自信をなくすのではなく いろいろな方向性から探ってみるのも一つだと思います。