楽譜の中の作曲家 スクリャービン


紅薔薇の乾ききった花瓶

一輪の見事なガリカ•ローズ


キャンドルは灯されなくなってもう久しい

うずくまる芯は短く黒く

おそらく彼女の手が触れたこの部屋で最後のものだ

昼間見るキャンドルの侘しさよ


あの夜の焔の煌めきよ!

光揺らめかせた君の瞳 それはまるでネヴァ川の夕暮れのさざ波

翻弄される小舟にいつしか私たちは乗り込んで

彼女の瞳に私が 私の瞳に彼女が宿る

お互いの瞳を鏡として自分たちを映しあった

取り合った手の温かさも

同時に発した言葉も同じ

行き先も分からず決めず、ただ二人手を取り合うだけでなんと幸せだったことか

庭園に咲きそめた美しい朝の薔薇

「君にそっくりだ」と折り取ると

花の女王を護らんとして棘がわたしを刺した

Dis moi qui je suis!

「私が誰か当ててごらんなさい、という名のバラよ」と彼女は笑って逃げクリスタルの花瓶に嬉しそうに活けた

薔薇は当初恥じらうような香り

次第にむせかえるような甘さでこの部屋を満たし

ビロードのみずみずしい花弁が陽光に映え、いつも微笑みを湛えていた。

しかしいつしか花の色が憂いを帯びるとき

私達はお互いを瞳に写し合うこともなくなった。


ある晩のこと

「もうあなたは私を見ないのね」

そういって彼女は蝋燭を消し

「もう私が誰でも良いのね」

といって扉の向こうに姿を消した

 

 Dis moi qui je suis!

ディモワ キジュスイ!

わたしが誰であるか言ってくれ!

一人きりの部屋にいて

私は自由なのか 放心しているのか

笑うのか 戸惑うのか 鏡を失った今では

自分の顔さえ表情を作れないでいる

振り上げた両の腕は空しく宙を掴み

そのままやるせなく自分を抱く

私は無意識に爪を立てた 獲物を逃さぬ虎のように

 悔恨のいばらで締め付ける 偽善者のタルチュフ

いや、ギリギリと痛い偽善者でさえ痛い

 

ハラリ、とバラが花弁を落とす

この痛みに耐えかねて君は去ったのか

痛いとも言えず血を流して

 

私は彼女を愛したろうか

陶酔するにすぎなかったか

もっと方法はあったろうか

所詮それだけの薔薇の時間か


残ったのは鋭い棘だけ

彼女が誰であるか

私は誰であるかすら確めようのない今

今一度 その棘で私を刺してくれないか

あの美しい瞬間を思い出すよすがに

 

いや あわれにも私の指はもう傷付かない

その棘すら傷付ける役目を終えてしまった

深紅の女王がみまかった今となっては

 

スクリャービン 前奏曲 Op.11-12

 

 

 

 

 

 

 

 

 



















































































































































 

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