観てきましたので感想を書きます。

映画まだ観てない方は、変な先入観持たない方が良いかと思いますので閲覧はお控えください。







舞台は太平洋戦争中の日本。

戦争3年目(1944年)の空襲で母を失った主人公は、父と二人で東京を離れ継母(実母の妹)と暮らすことになる。


監督の自伝かなと思ったが、監督は1941年生まれで、学校に通っている主人公とは年齢が合わない。監督の実母も戦争で亡くなってはいない。年齢的には9歳の時に空襲を経験したという高畑勲監督の方が近いと思う。


宮﨑監督が描きたかったものを描くためには、主人公をこの年齢にする必要があったのだろう。


航空機製作工場を所有している父、周囲から抜きん出た裕福な生活は監督本人の生い立ちと同じらしい。


疎開先の屋敷の近くにある謎の館。

本を読み過ぎて頭がおかしくなった、主人公の母親の大伯父が建てたもので、神隠しが起こると言われている。主人公の母はここに入って一年間行方不明になったことがあるらしい。

アオサギに誘い込まれた主人公は地下の不思議な空間に落ち、そこで攫われた継母を探すことになる。


地下の世界にあったのは、海、そこを船で渡る死者、「わらわら」と呼ばれる生まれる前の人間の魂のようなもの、ペリカン、インコ、そして古墳のような謎のお墓。


実は館は、ある日突然空から降ってきた物で、衝撃でそれが落ちた池は干上がり、しかし年月が経つ内に豊かな森が生まれた。

それを見つけた大伯父が、周りを建物で囲ったのが現在の館なのだという。

工事の最中に大勢人が死んだ。完成した後、大伯父は姿を消した。



私は、この「空から降ってきた物」は手塚治虫だと思う。


漫画界で天才として活躍し、神とまで呼ばれた人が、異世界である「アニメ業界」に隕石のように突っ込んできた。


漫画界で築いた名声を使い、安い賃金で精力的にアニメの仕事をこなす手塚治虫という存在により、アニメ界は干上がった。


だが時が経ち、手塚治虫を中心に豊かなアニメ文化が育った。

大伯父はアニメスタジオ経営者の集合体だ。手塚治虫の周りに寄ってたかって外壁を貼り付け、外見だけは建物らしく整えた。それが現在のアニメスタジオだ。大勢人が死んだ。


中にある謎の墓は手塚治虫の墓だ。

「我ヲ学ブ者ハ死ス」は、手塚先生の真似をして寝食削って絵描いてると死ぬよ、ということだと思う。


生まれる前の人間の魂を食べるペリカンは、「大伯父に連れて来られた。この海には食べ物が少ないからわらわらを食べる。生きるために仕方がない。高く飛んで他の所へ行こうとしたが、どれだけ飛んでもこの小さな島に着いてしまう。子孫はもう飛ぶことすら忘れてしまった」と語る。

大伯父(アニメスタジオ経営者)が、他のスタジオから引き抜いてきた古参アニメーターたちだろう。日本アニメ業界という狭い世界では、仕事は小さなパイの奪い合いになる。

古参アニメーターたちは自分が生きるためには仕事をしなければならないが、それは若いアニメーターの卵たちを潰すことになってしまう。

辛いが生きている限りどうにもならない。後進たちはこの状況を変える方法を考えることさえやめてしまった。


インコたちはこの空間の中でどんどんその数を増やしている。糞を垂れ、権利を主張し、人質を取って大伯父への交渉を試みる彼らは、極彩色のジャングルを見て「ここが我々の故郷」と涙をにじませる。

若いアニメーターたちだ。本来ならアニメ業界には入らないような、明らかに毛色の違う(宮﨑監督から見て)彼らが大量にアニメスタジオに流れ込み、どんどん数を増やして「労働環境が悪い!給料が悪い!」とピーピー権利を主張する。


煙草好きのキリ子さんは、高畑勲監督ではないか。

地下世界ではわらわらの世話をしている。

次世代を育てるために尽力したことを表しているのだろう。


大伯父は今にも崩れそうな積み木を前に「今日一日は大丈夫」「お前にこの仕事を継いでほしい」「一つだけ積み木を足して良い」「子孫に継がせると石に誓った」と語り、主人公を後継ぎに据えようとする。

アニメスタジオはいつ潰れてもおかしくない、危ういバランスで成り立っている。今日は大丈夫だった、明日はわからない。そんな綱渡りの経営を続けてきた。

「子孫を後継ぎに」と願うのは、宮﨑監督の息子をスタジオジブリの次の代表に据えようとした鈴木敏夫氏の投影ではないか。

アニメスタジオの中に浮かぶ巨石、アニメ界の大いなる意志(石)に、彼は誓いを立てたのだ。


積み木を一つ足して良い、と大伯父は言う。

今にも倒れそうなグラグラした積み木を、倒れないように作り変えるのではなく一つ足すことで上手くバランスを取れという。

アニメ業界を根本から建て直すのではなく、その場しのぎの支えを足せという。


主人公が「その積み木は悪意の籠った石だ」と拒絶すると、大伯父は笑って「お前こそが後継ぎに相応しい」と言う。


スタジオ経営者が本当に求めていたのは、その場しのぎの支えを足すことではない。

根本から作り変えてくれる若者が欲しかった。

大伯父は「悪意の籠っていない積み木」を一揃え主人公に差し出す。これで新しい積み木を積んでくれ、と。新しいアニメスタジオを。グラグラしない丈夫な、安定したスタジオを。明日のアニメ業界を。



だがそこにインコたちの代表である王が乱入してくる。

「こんな積み木で決められて堪るか!」

と叫ぶや否や、インコ大王はめちゃくちゃに積み木を積み上げる。


明らかに歪なそれは、大伯父が守り続けた物のように危ういバランスを保つことすら出来ず崩れ落ちた。

その微かな振動で、大伯父の積み木が崩れた。そして世界が崩壊する。


積み木を積むのは、新しいアニメ業界を作るのは、誰でも良いわけではない。新しければ良いというものではない。

浅慮な改革がアニメ業界全体の崩壊に繋がりかねない。


世界が滅びゆく中、大伯父は子孫に「早く逃げろ」と叫ぶ。

若い世代を老人たちの崩壊に巻き込むことはない。

もう我々の作ったアニメ業界はおしまいだ。後は若者に任せる。


「君たちはどう生きるか」

これは次世代への、今の古老たちが消えた後のアニメ業界をどうするかという投げかけだ。


歪な積み木に一つ足して崩壊を先送りにするか、新しい積み木を積み上げるか。

我々はそれを問われているのだろう。