朝ごはんを食べる双子の三歳児。
妻から「デザートは、プルーンね。全部食べた人だけだよ。」
ニコニコしながら全力で平らげる。
お皿に出てきたプルーンを見た瞬間、
「プリンは.....?」
「プリーーーーーーン」
30分程度どんなにあやしても泣きやまない。
結局、夜ごはんのデザートはプリンになりました。
昨日は、鎌倉文学館
へ「有島三兄弟展」に、母と妻と娘を連れて出かけた。
白樺派の兄弟、有島武郎、生馬、弴のそれぞれの生立ちから死までを資料を元に順序立てて説明されてて大変興味深かった。
展示と、この文学館自慢の庭と薔薇園を一通り観賞し帰途についた時、僕はふと母に聞いた。
「あの牧場はなんて名前だったっけ....。」
僕は、鎌倉には親戚筋があって幼少のころからしばしば訪ねている。
小学校の夏休みとか、母と共に滞在したものだった。
ある日、母に連れられて兄や従兄弟と共に牧場に遊びに行った事がある。稲村ケ崎の滞在地から出発して江ノ電で数駅だったように思う。
牧場についたとき、自分が赤いシャツを着てきた事に気付いた僕は、小学校低学年だったこともあり、牛が興奮する事を恐れ「僕は帰る。」と言い張って絶対に中に入ろうとしなかった。
牧場(乳搾り)を楽しみにしてきた他の子供達を放っておくわけにもいかず、母は僕を置いて中へ入って行った。
一人きりになった僕は、道順が解り易い海岸沿をてくてく一人で徒歩で帰り、宿舎に着くと疲れと安堵で寝入ってしまった。
しばらくして僕の行方を心配した母や叔母が、宿のベッドの中で寝ている私を見つけ、随分遠い道を一人で帰ってきたものだと驚かれた。
しかられる事はなかった。
暫く後、大学の時に、鎌倉高校を卒業した友人にこの話を話したところ、
あの界隈に牧場なんて無い、それらしい跡地もまるで無い、という事で、信じてもらえなかった。確かに、大人になって訪ねても観光案内にもどこにもそれらしい牧場は無いし、見つけられなかった。
僕の頭の中では、薄れる思い出の中の曖昧な記憶として、割り切れない不思議な記憶になっていた。
母は応えてくれた。「柴崎牧場でなかったかしらね。良くビンを持って買いにいったわよ。」
「あの牧場は今で言えばどこだったの?」
「さぁ、どの辺かしらねぇ。」
そんな話をしながら歩いて来ると、ふと目の前に写真の光景が見えた。蘇る記憶、偶然はこういう物か、やっぱりあったんだ.........。
白樺派の兄弟達が、偶然僕と、牛乳屋を引き合わせてくれた。
思い出の場所はあったんだ。一人で頑張って歩いた僕は確かに鎌倉に居たんだ。
家に帰って、いろいろ調べると、あの牧場は確かに「柴崎牧場」。今の七里ガ浜高校辺りにあったらしい。
僕は、小学校二年生の朝、七里ガ浜から稲村ケ崎まで一人で歩いた事になる。正確な道順は分からずとも海岸沿いに行けば帰れると思って。
今は、僕が滞在した海辺の家も、牧場も無いけど、次に鎌倉を訪ねる時は当時の僕といっしょに、ゆっくり海岸を歩いてみようと思う。
千葉県の我孫子(あびこ)市に仕事で数日滞在しました。
自宅は横浜の私ですので初めてと言って良い地域ですが、いくつかポイントがありました。
駅のホームの立喰い蕎麦「弥生軒」で天蕎麦を食べると、壁にはそこかしこに新聞や雑誌の切り抜きが。
味が評判で雑誌に取り上げられるほどでもないだろと思いつつ読んでみると、ここは裸の大将こと山下清さんが働いていた(そして放浪して出て行ってまた戻ってきたりした)拠点の駅弁当さんの現在の姿だそうです。
偶然入ったお店でぶちあたったのですが地元では有名という事で、でもかき揚蕎麦の味は今一つ。
今、wikipediaで調べて見ると、唐揚げ蕎麦というのが名物という事ですが、つゆも蕎麦もあのままなら似たような物でしょう。
更に、滞在地の売店でこれを発見。
レトルトカレーのパッケージ曰く、ここ我孫子は武者小路実篤さんとか嘉納治五郎さん、私の心の師である志賀直哉さん、民芸運動の柳宗悦さんとかが住み着いていたという事で、白樺派ゆかりの地だという事です。へー。
それで、町興しの為に商品化したのが、このカレー。
なんでも、バーナードリーチさんの助言を受けて、柳兼子さんが隠し味に味噌を使って作っていた大変美味しいカレーの再現版なのだそうです。この味噌出汁カレーを我孫子では、「白樺派のカレー」と称していくつかの店で提供しているようです。
①白樺派といえば身近である鎌倉を想像していたので意外だった点、②また、白樺派のカレーが味噌出汁である点、③そして、名物に美味いもの無しを再確認できた点。
我孫子の日々は、地味ながら、確実な思い出として記憶に刻まれました。