感情をコントロールできるっていうのは、
組織でストレスフリーで生きる上では、最重要テーマですよね。

職場や仕事でのあらゆることを、ノーダメージでこなせるのですから。

今回は、感情をコントロールするために大切な視点をお伝えします。


「簡単にできたら苦労せえへんわ!」「それがでけへんから、会社行くんほんま嫌なんやんけ。」

というご意見はごもっともだと思います。

正直、物事や感情ときちんと向き合うような、マジメで責任感がある方(僕もですw)ほど、
求めている状態から遠ざかり、苦労されているかもしれません。

なぜかというと、今からお話する視点が抜けている場合は、

感情をコントロールしようという気合を入れまくる
⇒移り変わる一つ一つの感情に(マジメに)注目しすぎる
⇒結果として、一つ一つの感情に囚われてしまう

というトラップに嵌りがちだからです。

もちろん、
以前にご紹介したアンカリング(過去記事ご照会)によって、
「今は憂鬱な気分やから、楽しい気持ち、リラックスした気持ちを持ってこよう」
等と、
感情を主体的に書き換えていくことは確かに有効です。

しかしながら、一時的にボジティブな感情に書き換えたとしても、
また別のタイミングでストレス環境下に置かれると、
再度ネガティブな感情が再発してしまう⇒再度ポジティブな感情に書き換える
という作業の必要性がその都度発生したりもします。

アンカリングは非常に効果的ではありますが、
それだけで理想的なノーダメージとまではいえないですよね。

更なる楽園を目指すべきです。


じゃあどうすれば良いのか。

俯瞰する」という視点を徹底的に意識しましょう。

ネガティブな感情をモロに受け止めている自分のことも、それをポジティブな感情に書き換えている自分のことも、
俯瞰しましょう。
そしてその俯瞰している自分が、本当の自分であるということを知りましょう。

これは、単に字面で理解するより、身体感覚が大事です。
ちなみに、上記の感覚を持つために、僕はこうしています。

感情の流れを、川の流れに観たてて、
川の中から水を見るのではなく、川の外から、その流れを見つめているイメージを持っています。

こうすると、川の水(感情)と一蓮托生というか、川の水(感情)が濁れば、自分もその濁った(感情)にがっつり覆われるというような状況を避けることができ、
感情を、単なる事象として、自分の存在そのものと切り離して見ることが可能になります。

また、感情を色に変えてみるのも有効です。
楽しい気持ちは、黄色、悲しい気持ちは灰色等です。
これは生得的な共感覚者のように、他の感覚を視覚にマッピングするというのではなく、
単にそういう色だと決めて、自分の中で結び付けるだけでOKです。
かたち上ではありますが、感情を色で把握することで、感情そのものを一歩引いて認識することが可能です。

このように、感情を俯瞰することで、「ポジティブなものであってもネガティブなものであっても、感情は感情」と単なる事象として捉えることが出来ます。

あなたという存在は、感情の次元を超えたものであることに気付くことで、
感情に振り回されない豊かな生活を手に入れてください。
この度の熊本地震にて被災された方々にお見舞い申し上げます。

こういった大災害は、その過酷な体験をされるまさにその時にもお辛いものと存じますが、
その体験がPTSD(心的外傷ストレス)となって残り、二次的・三次的に繰り返し苦まれる可能性もある点が非常に悲惨です。

もちろん、通常の社会生活における辛い体験にも同様のリスクがあります。
今回は、ストレス体験をトラウマ化させない(又はトラウマを薄める)ための方法について記載させて頂きたいと思います。

まず、記憶のメカニズムについてご説明します。

人がある出来事を思い起こす際に、例えばそれを体験した場所、時間、そのときにいた相手、その相手や自分が発した言葉や表情、周囲の風景、匂い、気温等といった情報は、
✖ ワンセットになって脳内に保管⇒思い出す際にワンセットで再生
されているのではありません。
○ バラバラになって脳内に保管⇒思い出す際に統合
という形を取るそうです。

従って、思い出すひとまとまりの記憶は、それを思い出す度に1回1回統合されたものなのです。

本人としては記憶していることをそのままの形で思い出したと感じますが、
本当は、情報のひとつひとつを統合して、「過去に起こったひとまとまりの出来事」という記憶を毎回毎回再構築しているだけなのです

ですので、思い出す度に、情報を脚色したり、別の記憶の情報を借りてきたりすることもあります。
子供の頃の出来事を、よくよく親や年配の人に確認してみたら、実際は全く記憶と違ったという経験をされたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

と、
長々とお話しましたが、
辛い体験をトラウマ化しない、またはトラウマを薄めるためにどうすれば良いのでしょうか。

その方法は、
「その辛い記憶を思い出す(統合する)度に、辛さを軽減する別の情報も混ぜ込む」
ことです。

もっと具体的に表現しますと、
「その辛い記憶を思い出す(統合する)度に、プラスの情動をセットにする」
ことです。

全然具体的じゃないやん!
という方。ごもっともです。

更に具体的には、
「その辛い記憶を思い出す(統合する)度に、(嬉しい!楽しい!気持ちいい!等の)プラスの情動を併せて感じる」
ことです。

これは、その体験の嬉しい面とか楽しい面とかを捉え直すといった、
ポジティブシンキング系人間になれと言っているのではありません!


辛い記憶を辛い記憶と感じること自体は当然です。
なので、その“辛い”と捉えている記憶を統合(脳内再構築)する際に、
”辛い”とは異なる情動(別の情報)を混ぜ込みましょう
ということです。

そもそも、人が辛い記憶に囚われてしまうようになるのは、
その記憶を思い出すごとに、辛いという情動を繰り返し体験することで、
その辛さが増幅されて長期記憶化することが原因です。

しかしながら、
辛い記憶を統合(脳内再構築)する際に、プラスな情動をセットにしてやると、
徐々に記憶そのものが自分にとってものすごく不利で耐え難いものとして思い出さなくなり、最後には、別にどうということのない記憶に書き換わります。

なお、この方法を実践するためには、
嬉しい!、楽しい!、気持ちいい!
といったプラスの情動そのものを単体として純粋に取り出すことが即座に出来るとスムーズです。

情動そのものを即座に取り出せるようになるには、
いかにストレスフルな状況でもリラックスする裏技」の記事でご紹介しましたアンカリングが有効です。

アンカリングからだけでも実践して頂くことで、
「情動は、あくまで自分が認識しているものやから、あくまで自分自身がコントロール出来るものなんや!」
と体感をされる方が増えれば幸いです。

毎度、抽象的な話となり恐縮です。
この度の震災を受けて、取り急ぎ、PTSD対策に焦点を当てさせて頂いた次第です。

情動のコントロール系の話については、また詳しく記事を書きたいと思います。

ここまでお読み頂きまして、ありがとうございました。
よく世間では、ストレス耐性の話をする際に、
「心(メンタル)が強い・弱い」といった表し方をしますが、
これは厳密には誤りです。

あなたが、他人の言動等で傷ついたり、落ち込んだりするのは、
「弱い心(メンタル)の持ち主」だからではありません。

心(メンタル)とは、脳の情報処理の状態であって、鍛える・鍛えないどうこうのものではありません。

例えば、ある職場にすぐ怒鳴り散らす鬼課長がいたとして、
課員たちは皆その鬼課長を怖がっていたとします。

課員Aさんは5回怒鳴られて落ち込んでしまい、
課員Bさんは10回怒鳴られて落ち込みました。
また課員Cさんは、20回怒鳴られても、全く落ち込みませんでした。

これで、Cさん>Bさん>Aさん の順に心(メンタル)が強いのかと言えば、
そうではありません。

Cさんは、鬼課長の罵声をあまり「気にしなかった」だけなのです。
単に、罵声を真に受けるか、それとも気にとめないかといった、
やり方の違いです。

ストレス耐性がある人というのは、
心(メンタル)が強いとかそういうものではなく、「気にしない」人です。


では、「気にしない」を実践するためにはどうすれば良いのでしょうか。

ここで有効なのが、「縁起の観点の導入によるストレスフリーな生活」の記事でもご紹介しました、
他人との関係性(社会的役割)に注目する方法です。

他人の言動によるストレス攻撃というものは、
「あなたとの関係性(上司Aから見れば部下、職場の先輩Bから見れば後輩、といったあなたの役割)を前提にあなたを評価した上で、発せられたもの」
です。

そのため、あなたが自らの人生をかけてもいいと思っている役割や使命が
「上司Aの理想の部下」や「先輩Bの理想の後輩」ではないのなら、
上司Aや先輩Bの視点からあなたに向けて発信される言動は、
本来のあなたとは一ミリも関係ありませんので、地球の裏側に落ちている小石並みにどうでも良い案件と認識して頂ければと思います、

つまり、他人のどんな言動も、「素のあなた自身」ではなく「ある特定の役割を担うあなた」に向かって発せられているため、
気にする必要はありません。
(もちろん、行動ベースでは、適宜求められる行動を淡々と演じる必要はあります。)


更に、相手から見たあなたとの関係性(あなたの役割)に注目するついでに、
あなたから見た相手との関係性(相手の役割)にも注目してみてください。
この関係性(役割)を、こちらがどう定義しようと自由です。

「職場の上司や先輩」という役割においてはシンプルに嫌な相手であっても、
「反面教師として多くを学ぶ相手」という役割、
「的外れなことを言う可哀想な人」という役割 等
相手の役割を能動的に書き換えてみると、その存在感も別物に変わります。


このように、他人との関係性に注目することで、
真のストレス耐性が備わり、あなたが認識する世界が平穏なものになりましたら幸いです。

ありがとうございました。
今回は、
他者の言動によるストレス攻撃を、全力で受け止めていた僕が、
一気に救われた世界の見方である、
「空観」の導入をオススメさせて頂きます。

空観は、釈迦が悟った物の見方で、「有」と「無」を包摂した上位概念です。

一言で言うと、「有るといえば有るけど、無いといえば無い」という世界の捉え方です。

理屈っぽく抽象的な話を連ねるよりも、
明日から日常生活に活かして頂くべく、体感を重要視して、
なるべく具体的にご説明したいと思います。

例えば、机の上に水の入ったペットボトルがあるとします。
その水の入ったペットボトルは、あなたが認識するからこそ、あなたの世界に存在します(「有」ります)。

逆に、あなたが何か考え事をしていたり、他のものに注目していると、あなたの世界には存在しません(「無」いです)。

また、実は机の上には、ペットボトルの他にりんごがあった
ということに気付けば、
その瞬間からあなたの世界には、そのりんごが「有」り始めます。
逆にあなたが認識する前は、そのりんごは「無」いですよね。

詭弁くさいですが、
人間が認識するからこそ宇宙が存在するという考え方は、最先端の量子力学の研究でも明らかになっています。
日本において哲学的な話は、世捨て人が好きそうな若干胡散臭いもの
と捉えられがちですが、
海外の名門大学では、哲学科は、立派な理系の学科となっています。


ここでお伝えしたかったのは、
この世に絶対的なものは存在しないということです。
他者の言動なんて、「有るといえば有るけど、無いといえば全然無いわー」
と捉え頂きたいのです。


引き続いて、先ほどの例でお話します。

このペットボトルの中にある水は、
今この瞬間(3次元的)には、認識さえすれば「有」りますが、
数分後あなたがその水を飲めば、あなたの身体の一部になっているかもしれませんし、
数時間後にはあなたの身体から出てしまい、最終的には海に還っているかもしれません。
そして、やがて雲になり、雨になり、山の水源から汲み出された後、再び誰かの飲料水になっているかもしれません。

少なくとも、今この瞬間に目の前にある水とは、すっかり別の場所で別のものになっていることは明らかです。このように、同じものが未来永劫に「有」るということはあり得ないのです。

つまり、あなたの目の前に「有」るものは、時間軸を入れて考えると、「無」くなります。

時間軸を入れて考えると、普段はガッツリ存在感のある、ストレス攻撃を与えてくる人間も「無」くなります。
短期的には、お互いのうちどちらか一方が職場を出た瞬間に、
中長期的には、お互いのうちどちらか一方が異動や退職をした瞬間に、
あなたの目の前から消え去ります。


以上のように、あなたにとって絶対的に「有」るものなんて「無」いことを
意識して頂くことで、
日々のストレス攻撃を無に帰して下さい。

過去に「ストレスのない世界をコーディネートする方法」の記事で、「臨場感」をテーマにさせて頂きましたが、
少なくとも、ストレス攻撃の臨場感を下げるためにこういう考え方も使えるなと
思って頂けるだけでも幸甚です。

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
平日に、朝目覚めてから、職場に向かう途中、あるいは勤務時間中、
世界が灰色に感じられるような経験はありませんか。
実際に色があるのは理解しているにせよ、心象として、完全にモノトーンだったりしませんでしょうか。

僕は幼稚園の時から、不本意な社会的ToDoに追われている際は、全力で世界がモード系にファッショナイズされていたクチです。

よく、人は自我の色眼鏡で世界を見ている等と言われますが、
どんな色眼鏡を掛けるか自分で選び、世界を自由自在に変えられると、生きやすいですよね。


そこで、今回のテーマは「臨場感」です!


当たり前の話ですが、
あなたが生きている世界は、あなたの脳が認識する世界です。

視覚や聴覚を通してキャッチする他人からのストレス攻撃も、
それによって生まれる感情も、
あなたの脳が臨場感をもって認識しているからこそ、あなたの世界に存在します。

例えば学生時代、
興味のない授業で考え事をしている時、先生の声は完全にあなたの世界になく、
逆に考え事の内容に世界が埋め尽くされていることはありませんでしたか?

この時、
好きなスポーツ選手のプレー映像やお気に入りの音楽がありありと再生されたり、
食べたいご飯の味がありありと再現されたり、
教室の状況というより、考え事の内容に臨場感がある状況ですよね。

また、
映画を見ていて映画の世界に没頭している時や、小説を読んでその世界に没頭している時、
周りの人の存在をはじめ、没頭しているストーリー以外の世界がフェードアウトしますよね。

何だったら、物理的には一切自分に危険はないのに、映画や小説の主人公が危険に遭遇しているシーンで、胸がどきどきしたりします。
これも、作品の内容に臨場感がある状態です。


お伝えしたかったのは、
あなたの世界は、「何に臨場感をもっているか」によって変わってくるということです。

このように、
「自分の世界は絶対的なものではなく、あくまで自分が臨場感をもって認識するものによって構成されているんだ」
と理解すれば、
他人の言動等のストレス外因に、変な重みを感じなくて済みます。

ストレス攻撃やそれによって生まれる負の感情は、
あなたが臨場感をもつからこそ、
あなたの世界にありありと存在してくるのですから。

言ってみれば、
あなたは、あなたの世界の創造主なんです。

そんなあなた様におかれましては、
社会で生きていくに当たり、他人の言動のガン無視は出来ないにしても、
妥当なアクションを淡々と実施する一方で、
臨場感の方は、自分の趣味のことや、心地良くリラックスした体感に捧げてやりましょう!


突然ですが、F1レーサーがレース中にコースアウトしそうになった際に大切にするのは、
コースの境界線に注意を払うことではなく、コースから目を離さないことだそうです。

コースの境界に目を向けてコースアウトしないことを意識すると
結局コースアウトすることを意識していることになり、
結果、コースアウトにつながるのです。
一方、あくまでコース上を走ること自体にしっかりと臨場感を持てば、
正しいコースに戻ることができるそうです。

これと同じで、
自分は明るいと思っている(自分は明るいという考えに臨場感をもっている)人は、
自然と明るい人間がするであろう言動だけが見えてくるため、
結果、明るい人間になりますし、
自分は幸せだと思っている(自分は幸せだという考えに臨場感をもっている)人は、
自然と日常で嬉しいことやプラスのことだけが目に付くようになり、
幸せな体験をします。

逆もまた然りです。


繰り返しになりますが、
あなたの持つ臨場感次第で、あなたの世界は変わります。

外的要因にあなたの大切な人生を左右されることなく、
精神的に自由な生活を送られることを願っています。

ありがとうございました。