(昨日の投稿より続きます)

 

 結婚後約 三年 して スペンサー と 清清 の間には、待望の第一子 (息子) が誕生した。
貧困な環境のもと小学校を卒業して 十三歳 で港湾作業労働者となり、毎日いくばくかの日銭で生き延びてきた時期がある 陳 にとって、初孫の誕生は 努力と忍耐の連続で一度はこわれてしまった “家庭” を取りもどした喜びであった。

 TNS Group Holdings Sdn. Bhd の 2003年度の総資産は 200万米ドル (シンガポール・ドルではない) であった。 当時のレートで換算すると日本円でわずか2億数千万円ほどしかない。 事業の幅広さに比べて意外と小さい金額であるが、これはTNS Group Holdings Sdn. Bhd 社が海運部門や建設部門ではなく、純粋に ”持ち株会社” であったからであろう。

 そんな中、スペンサー と 清清 の間に長男が生まれた 2007年に、世界金融危機が発生した。

 これは アメリカ の サブプライム住宅ローン危機 に端を発した リーマン・ショック と、それを引き金にした各種の国際的な金融危機で、背景となった要因には アメリカ での “リスクが高い低質な住宅ローンの証券化”、“FBR やブッシュ政権による低金利政策”、“銀行と違って監督や規制を受けないため リスクの高い取引が多かったシャドー・バンキング・システム” などの存在が指摘されているが、単に アメリカ の国内問題の枠を越えて ヨーロッパ や アジア まで巻き込んだその規模と速度は 1930 年代の世界恐慌を上回っているともいわれた。

 

 一般的には 2007年9月 から事態が顕在化したとされているが、金融センターであるだけに シンガポール では大きな打撃を受けて倒産する企業も少なくなかった。

しかし ニューヨーク の大学で金融・財務方面を専門に学んでいた スペンサー は事前にその予兆を感じ取っていたのか、あるいはそれらの対処を手伝ってくれるネットワークがあったのかは分からないが 反応が早かった。

 いち早く関連会社の不採算事業を整理させ、また収益の回収が遅くなりそうなプロジェクトは売却、もしくはキャンセルした。 事態が一番深刻だったのは 2008 年第 2 四半期から 2009年第 1 四半期 であったが、その前にすでに同社が保有していた他社の株も安全なもの以外はすでに売却しており、危機に強い 円などの外貨に変換するなどした。
 スペンサー がとったこれらの対応が功を奏し、世界中が経済危機に直面しあえぎ続ける中、わずか一年半後の 2009 年度の最終決算で、同社は損益を抜け出し、利益に転じたのである。

 陳は思った。 大企業でさえも一瞬で不況の波に飲み込まれてゆく、金融情報が先行した現代のビジネスの落とし穴を躱してゆくには国際的視野と経験、センスは必須だ。 特に アメリカ の金融情報に強くなければならないが、シンガポール のような小国ではそれをこなせる人材は多くない。 小学校しか出ていない自分一人では 到底危機を回避できなかったはずだ。 スペンサー を 清清 と一緒にし、一族に入れておいて本当によかった、と。


(スペンサー は 2007 年から始まった世界的な金融危機から TNS グループ を救い、その手腕が シンガポール経済界 からも注目を集めるが・・・)
 

 その後の数年の間に スペンサー と 清清 の間にはさらに 二人 の子供が生まれ、息子二人、娘一人の 五人家族 となっていた。 三人の孫は 陳 にとって目に入れても痛くない “宝物” そのものである。
 陳 は、アメリカ の大学を卒業した優秀でスマート、孝行なこの娘婿に非常に満足し、スペンサー も義父からの歓心を買うことに集中し続けていた。
 そして 2014 年度には同社の総資産は 1億 米ドル へと大幅成長する。
2003 年 の 200万米ドル と比較して、じつに 五十倍 の成長である。
こうして スペンサー は家庭においても、事業においても、陳 からの 深い愛情 と 信頼 を得ることに成功したのであった。

                                        (明日に続きます)