(昨日の投稿より続きます)

 

 

 死刑の執行までにはまだ時間がある。 その間公安当局は 陶静 に公安の厚意からの勧めを受け入れるよう何度か説得した。

 しかし、陶静 はぞれでも真相を話そうとはしなかった。 

 そしてすぐに二審が行われ、一審支持の判決が下された。 そこで 1991年10月26日(土)、他の 27名 と合同の執行と決定された。

 

 死刑執行の前日 25日 の午前中、女民警は再度 独房にいる 陶静 に話しかけに来た。

 もう 明日はないのだ。 明日の今頃、ここにこの子はいない。 

女民警の口調には憐れみよりも、あきらめきれなさが漂っていた。
 

 「バカな子ね。 いまから “立功” してもまだ間に合うのに。 こんな死に方してもったいないと思わないの?」

 しかし 陶静 はやはり話そうとはしなかった。 

女民警は胸に亀裂が入るような痛みをおぼえ、どうしようもなさそうにため息をついて、首を振った。

 「じゃあ、あなた、他に何か希望はある? 言ってごらんなさい」

 「・・・・・」

 「なんでもいいのよ。 思い残すことはないの?」

 「二つあります。 一つは私の体内にある 避妊リング を外して取り出すことはできませんか? きれいな身になって 逝きたいので」

 「申請してみるけど、たぶん問題ないと思うわ。 他にある?」

 「二つ目は、母にもう一度会わせてもらえませんか?」

 「それはムリだわ。 看守所の規定では万が一、何か起きることを避けるために 囚人 と 親族 を会わせられないことになっているの」

 「・・・・・」

 「でも、死刑が執行される前に “公判大會 (トラックの荷台にのせて 市中引き回しののちに、刑場での死刑執行前に 氏名・罪状が読み上げられる公開のもの)” があるので、その直前にあなたのお母さんを探して 連れて来れば、短い時間だけど話をすることぐらいはできるはずだわ」

 「ありがとうございます」

 「他に何かある? 何か食べたいものはある? 着替えたい衣服があったらそれも言って。 ご家族に伝えて準備してもらうようにするわ」

 陶静 は落ち着いて礼を言った。

自分の銃殺刑を前にして、二十歳の女とは思えない落ち着きであった。

 

 その後、女民警から話を伝えられた 看守所長は 自ら手術を許可し、急遽、徳宏医院婦人科 から専任の医師 を呼んで 手術を行うことになった。

 夕刻になってから 看守所医務室で 金属避妊リング の取り出し手術が行われた。

その後、女民警は 陶静 の母親が準備した新しい服と靴、母親が作った料理を、手術後、独房で横になっている 陶静 のもとに届けた。
 

 翌日、執行の時間が来た。

看守所の官吏が 陶静 を呼び出しに来た。 

独房の隅で泣いているかと思っていたが、陶静 は落ち着いていた。
 武警について監獄を出て、縄で縛られ トラックで市中引き回しされたのち、公判大會 の会場に連れて行かれる。 現場での簡単な宣判の後、刑場に送られ執行されることになっている。

(公判大会)
 

 トラックが刑場に到着したとき、陶静 の母親、兄、そして 十数年会っていなかった父親 もすでにトラックの前で待っていた。
警官らも 同情心を持ち合わせていた。 看守所の女民警が トラックを運転する担当警官と、当日刑場の警備に当たる同僚に、頼んでくれていた。


 昆明公安局の数名の警官が、厳格でなければならない規律をあえて違えて、陶静 の一家を会わせたのであった。

 兄は泣きながら言った。

  「静、言うんだ! 言えば死ななくて済むんだ! まだ二十歳じゃないか!」

 陶静は言った。

  「お兄ちゃん、いままでありがとう。 私が死んだらお母さんの面倒を見てあげて」

 

 母親はもう涙を流してはいなかった。 一言も話さず、ただただ呆然と 陶静 と数分の間見つめあった。


(最後の対面 手前から、母親、父親、兄)

 背後にいた武警が言った。

 「もう行こうか。 他の囚人は 全員中に入っている」
 陶静 は頷いて歩きだし、母親の横を通り過ぎようとしたとき、母親が急に両手を伸ばし、 陶静 を抱きしめた。
 それまで無表情だった 陶静 は大粒の涙をこぼし、枯れるほどの声で “お母さん!” と叫んだ。
 母と娘はお互いの頭を抱きしめるようにして泣いた。 そしてそのとき、陶静は母の耳元でささやいた。

 「前回、渡したキャッシュ・カードを使って」

 そして身をひるがえし、武警に促されて 刑場に入って行った。

 1991年10月26日、刑場に響いた銃声で、陶静 の年齢は永遠に 20歳 で静止した。

 

 陶静 が処刑されても口にしなかった恋人の名前、“楊博” ・・・・・ 公安当局 は該当する者を探し出そうとしたが、ミャンマー での本名も 居場所も分からないため 個人を特定できず、ミャンマー側に逃げ込まれると 追及・逮捕 することはできなかった。
 

 死後の 陶静 は知らないことであるが、母親は 娘 が処刑されたのち、悲しみのあまり その後はずっと臥せったきりになり、数年後に他界した。

そしてその間、キャッシュカード の口座 に ”楊博“ から入金されることは一度もなかった。


(手前の 顔に紙をかぶされている 遺体が 陶静)


(陶静 の死亡を確認する 刑場職員)

・筆者が想うこと
 こんなカスのような男をそこまでかばう必要がどこにあるというのだろうか? 当時、出会ってなかったとはいえ、筆者の方がまだいくぶんかマシなような気がしてならない。

 おそらく 陶静 は幼小のころの出来事で、父親への反発心から “一途な愛情” 以外を受け入れられなくなっていたのだろうが、それにしたって相手を選ぶべきである。

 前回の任雪にしろ、今回の陶静にしろ、時折あわれすぎる人がいるのもまた一面の真実である。
 あの国でハニートラップにあう 政治家や経営者 はもう少し心の浄化が必要だ。

                                                (終わり)