(昨日の投稿より続きます)

 

 現場検証のため CID (刑事偵緝處 = 重大犯罪を扱う部署 日本なら捜査一課か?) の エリート捜査員 らが到着したが、タフな彼らですらその残酷で凄惨な現場に動揺した。
 のちの検死報告によれば、子供たちはいずれも 二十刀 以上の斬られた傷があったとされている。 遺体の傷は主に頭部に集中しており、鋭利な刃物で斜め上から斜め下に向けてくり返し深く斬りつけられ、また胴体などを刺されていた。
 

 長男の 國平 は右腕をほぼ切断されかかっていた。 法医が 國平 の拳を開くと、一束の長髪が握りしめられていた。 強烈な吐き気をもよおしながら作業を進めていた鑑識官は 國平 の掌と毛髪を写真に収めながら、それが何を意味しているか理解し、大粒の涙をこぼした。 長男は兄として 弟・妹ら を護ろうと、自らの腕を斬り落とされながら 狼心狗肺 の凶悪犯に立ち向かい激しく抵抗したのであった。

 次男の 國興 の後頭部はぱっかりと割られていた。 三男の 國順 は額、目、頬に 二十刀 以上の傷があり、最年少の妹、珍妮 の顔面は刃物でメッタ斬りされ、血と肉の塊りと化していた。 それでもまだだれかが救ってくれるのを信じているかのように 小さな枕をしっかり握りしめていた。

 (世田谷一家惨殺事件 でも被害者の女性の顔面がひどく破損されていた、との話がある)

 警察はキッチンの流しの中に血液が残っているのを発見した。 おそらく犯人が犯行後に手や腕、顔に付着した返り血を洗い流したのであろうと思われた。 (おそらくこれはフラットから出てゆく際に、血まみれでいたら怪しまれるからであろう)

 父親・陳慶財 が見てみるとキッチン内にあったはずの 菜刀 1 本、包丁 1 本 が見当たらなくなっていることに気づいた。

 

 この キッチン と 浴室 以外の 居間 や ベッド の上は散らかってはいたが、それらは 陳・李夫婦 が早朝出て行く前と全く変わっておらず、室内を物色された痕跡はなく、2 本の刃物以外紛失したものはなかった。

 不思議なことに室内には、大量殺人現場にありがちなおびただしい血痕も、血の手型も、犯人の指紋も、血の付着した足跡も残されておらず、金銭や財物も奪われていなかった。

 このことから警察では、カネ目当てや物取りではなく、陳一家 に恨みを持つ人物が証拠を残さないように十分に用心しながら実行した、計画的犯行であると推理して捜査を開始した。

さらに室内や 陳宅 外側を捜査したところ、鉄格子やドア、玄関を破壊したり、窓をこじ開けたりした痕跡は発見されなかったことから、子供たちは犯人と面識があるばかりでなく、信用していたため鉄格子やドアを開けて室内に入れてしまったのではないか? と考えざるを得なかった。 つまり極めて親しい人物による犯行である可能性である。

 

 しかし、この点も微妙であった。 意識を取り戻した 李美英 と 陳 に事情を聴いたところ、事件発生の数日前に、李 が鉄格子とドアのカギをキーホルダーごと紛失していたことが判明したのだった。
 

 現場で判明したものを組み合わせてみると、以下のようになる。
夫婦二人が 06:35 に自宅を出たのち、07:10 から数分間にわたって 李美英 が都合三回自宅に電話をかけている。 更に数分後、だれも電話に出ないので、同じフロアーの女性の友人にノックしてもらいに行っている。 その際にも友人は誰かが 陳宅 から出てくるのを目撃しなかったし、室内で争うような物音、助けを求める叫び声や泣き声を聞いていない。
 

 ここから推理できることは犯人は 陳・李夫婦 が自宅を出た直後に何の痕跡も残さず 陳宅 に侵入し、寝ていた子供たちを浴室に集め (居間やベッドに血痕や 襲われた痕跡がない以上そういうことになる)、長男・國平 の抵抗に遭って格闘となり 髪の毛 数十本 を抜かれながら、一人二十刀 以上浴びせて全員殺害したのちにも、落ち着いて浴室やキッチンの血を洗い流し、さらに自身に付着した血液も水洗いした。
 その後、自分の身元につながる証拠を残さないよう気をつけながら、10:00頃 に夫婦が戻ってくる前に逃走している。 偶然ではなく、明らかに 陳・李夫婦 の行動パターンを知り尽くしている人物の仕業と思われる。
 

                                           (明日に続きます)