(昨日の投稿より続きます)

 

 すぐに犯人が逮捕された 上海復旦大学 での事件の引き合いに出され、朱令事件は 18年 ぶりに脚光を浴びることになる。 いくつかの主要なウェブサイトのトップ見出しにも連日掲載された。
 しかし1995年 当時と違ったのは “江沢民” の名が表で取りざたされるようになったことである。
 上海財経大学の財経研究所・准教授である 潤濤閻 が発表した論文では、朱令事件の黒幕は 江沢民自身 であり、江沢民 の “漢奸 (中国を裏切ったスパイ) 家族” という 黒歴史 が 孫家 の手に握られていたためであるという説を述べている。
 前回、「第四百二十七夜」 でふれた際、読者の皆さんは違和感を感じなかっただろうか? 「江沢民って共産党員だろ? なんで、国民党の幹部だったヤツに頭が上がらないんだ? いくら 辛亥革命 に参加した当事者と言ったって、本来なら打ち破った敵だろ?」 と。

 これには 江沢民 のみならず、その父親、親戚 も含む歴史の暗部が関係している。
 1926年8月 に 江蘇省揚州市 に生まれた 江沢民 は、公式には祖父から見て 第六子の叔父にあたる 江世侯  (別名:江上青 1911―1939)  の養子とされている。 江世侯 は中国共産党の幹部であったが 子宝に恵まれず、日中戦争中の 1939年 に地元の匪賊によって 28歳 の時に殺害された。 日中戦争の英雄なんぞではなく、地元のチンピラに殺害されるという極めて無様な死に方であった。 この時点で江沢民は 13歳。

 江家本家の次男・江沢民が、祖父からみて 第六子 にあたる 叔父・江世侯 の養子となるというのも、中国の家族慣行では異例中の異例である。
 どう見てもおかしな話だ。 なぜこんな話になっているのか?

(江沢民 の叔父で養父の 江世侯  別名:江上青)

 江沢民 の実父である 江世俊 (1895年8月-1973年1月)  は日本軍占領下の 江蘇省で日本の特務機関 “ジェスフィールド76号” の エージェント (スパイ) を勤めており、日中戦争時代の 1940年3月 30日 から 1945年8月 16日 に存在した、日本を支持する 汪兆銘政府 (中華民国の国民政権) の官吏であった。

(江沢民の実父 : 江世俊)


 つまりこの不可解な話は、江沢民 自身の 「漢奸 (中国を売ったスパイ) の息子」  という出自を隠し、“根っからの共産主義者像” を創りあげるための 捏造伝説 と思われる。

 (当然のことながら、中国共産党は「悪質なデマ」と否定している)

 学歴に関しても、1943年 に 揚州中学卒業後、汪兆銘政権 で 日本軍が管轄する 南京中央大学 に入学したが、日中戦争終結後の 1945年10月 に 南京中央大学 が 上海交通大学 と合併したため、“1947年 上海交通大学卒業” と称して 南京中央大学 に在籍していたことは自身の経歴から抹消している。
 

 “日本軍管轄 の 南京中央大学 にいたため 日本語も少し話せ、酒が入ると日本語で炭坑節を歌う” と言われる 江沢民自身 の本当の背景を考えると、あの異常な 反日的姿勢、言動 の意味が分かる気がする。

 潤濤閻 の発表した論文は、以前にもふれた “孫維 の祖父・孫越崎 は 中華民国時代の部長 (大臣) 級の高官” であり、“江沢民 の父・江世俊 も 国民党側 に転向して 汪兆銘 (汪精衛) 政権 にすがっていた” ことをあきらかにしている。 江世俊 も 孫越崎 とお互いに面識があることは否定できない。
 当然、立場的に 江世俊 は 孫越崎 と仕事を共にしたことはないが、江沢民 は 総書記になったのちも 孫越崎 が 父 と 自分の過去 に関して知っていることを恐れていた。 

 しかし、江沢民 がそれを隠すことはそれほど難しくない。 

 同じ中国人として、年長の先輩として、どの党にいたかは関係なく 敬っておればいいのである。 特にカネを要求されるという性質のものでもなかった。

 2013年5月6日、新華社 も 朱令事件 の経緯や証拠、疑問点などについて解説する記事を掲載した。

 新華網 の記事の最後の一問は、「事件はどの段階で 立ち往生しているのか?」 であった。
 実際、国民は、当時この事件の捜査に権力による不当な 「干渉」 があったのかかどうかにもっとも疑念を感じていた。


 しかしこれらの報道は公表された直後に削除され、さらにその後 再度 復活するという奇妙な展開を見せた。 実はこういったことは 中国内の報道 では時折見かけることで、中国共産党中央内部 に 分裂・対立 が存在していることを示している。
 最近も 中共高層内において 習近平派 と 江沢民派 の対立が激化していると伝えられるが、2013年当時、再び 朱令事件 が注目され 議論を呼んだのは、おそらく 習近平派 が 上海復旦大学 での毒物混入事件をきっかけに、それまで推進してきた ”反腐敗政策“ の一環として 朱令事件 の真相を 隠蔽したい 江沢民 を標的にする目的があったとみられる。

 そして論文や記事を削除させたのは、それまで真相が流出しないようコントロールを続けてきた 江沢民派の 劉雲山 (第 18 期 中国共産党中央政治局常務委員、序列は 7名中 5位、中国共産党中央書記処常務書記) による反撃であった、と言う指摘もある。

(習近平の右側にいるのが 劉雲山)

 海外在住の 評論家・周曉輝 によれば、現在でも 朱令事件 の真相を暴きたい勢力が存在しているという。
                                          (明日に続きます)