(昨日の投稿より続きます)

 

 陳諾雯 はなぜ見つからないのか? 陳諾雯 だけは別個のケースだったのか? 
捜査員らは立てこもり事件のあった村屋から 白沙村の他の場所まで捜索範囲を拡大したが、途中で 唐 の自宅向かいの 小さな石小屋 も唐が借りている範囲であることを聞きつけた。 警官らが 石小屋 の中を捜査したところ、嚴佩珊 のピンクの通学カバンと白の運動靴、さらに TWINS の閃カードが多数入ったアルバムが発見されたのである。 TWINS は 陳諾雯 が大好きだった アイドル・ユニット である。 そしてさらに 石小屋 の中には使いかけの セメント粉の袋があった。 陳諾雯 と 嚴佩珊 の失踪経緯が似ていること、そして失踪時期も 2 週間しか違わないことから、捜査員は 陳諾雯 も必ずこの事件に巻き込まれているという予感がした。 おそらくすでに殺害され セメント で埋められているのではないか、と考えた。 
 警察は 唐 の自宅である村屋以外に周辺の草むらなども含め 再度遺体が埋められた痕跡を探そうとしたが、街灯もない白沙村での夜間の捜査は困難であったため、翌朝から捜索を再開することにした。 



 朝になった。 夜間とは違いさすがにモノがはっきり見える。 すぐに 唐 の自宅の敷地内に木板で蓋がされたマンホールを発見した。 そして木板には上からセメントが敷かれており、その上には洗濯機が置かれている。 



 ここだ、間違いない! 

捜索隊はセメントをはがし、木板を開けてみた。 その瞬間異常な悪臭が湧き上がってきた。 昨日は石油の匂いが強烈だったので気づかなかったが、マンホール の汚水の中には一人の長髪の少女の遺体が浮いていた。なんとか遺体を引き上げたが既に異常なまでに膨張してしまっており、かなり蛆に喰われている。 目視での身元確認は不可能であった。 それどころか吐き気をおさえるので精一杯である。 遺体はその後、法医のもとに運ばれ、DNA検査が行われた。 そして遺体が身につけていた時計とDNAテストの結果から死者は 12 月 4 日に失踪した 陳諾雯 であると断定されたのである。

現場に駆けつけていた 陳諾雯 の両親は 重案組捜査本部 からの知らせを聞いて、大声を上げて泣き崩れた。 
 ここから重案組、重案支援組、刑事偵緝隊 の捜査のターゲットは、「動機」 に絞られてゆく。
 なぜこの二人の少女は唐永強の自宅にいたのか? 自らここに来たのか? それとも拉致され監禁されていたのか?
そして殺人の ターゲット がこの二人の少女であったのはなぜなのか?
だれでもよかったのか? それともこの二人でなければいけなかったのか?
 

 12 月 4 日の 19:00 頃、陳諾雯 は 元朗広場 の Yes Station で閃カードを選んでいる際、近くにいた 唐永強 が大量の TWINS の閃カードを入れたアルバムを持っているのを見せられた。 そのうちの数枚は 陳諾雯 がずっとほしくて探していたが見つからなかったものだった。 そこで 陳諾雯 は 唐 に売ってもらえないか聞いてみた。 すると 唐 はやさしそうな顔で 「キミにあげるよ」 と言ったのだった。 陳諾雯 は非常に喜んだ。 唐 は 陳諾雯 に言った。 「まだ十数冊、TWINS のカードのアルバムがある。 もし見たければウチに来てもいいよ」 と。 
 陳諾雯 は三人の子供も一緒にいたことから初対面の 唐永強 に警戒感を持たなかったのである。 陳諾雯 は今日買いに来た目的のカードを店で購入してレジで代金を払うと、先に歩道橋下に行っていた 唐 と三人の子供たちと一緒にタクシーに乗り込んだのだった。 これが歩道橋を越えた後、陳諾雯 の行方が分からなかった理由である。 
 白沙村にある 唐 の自宅に到着したのち、陳諾雯 は村屋の1階で TWINS のカードが詰められたアルバムを見ていた。 そしてそれを眺めていた 唐 はふと、数日前に出て行った妻の 樊柳珊 のことを考え始めた。 そして 2 階の部屋に行き電話をかけ、戻ってくるように言った。 
 ここで交わされた会話は少々複雑なので明日あらためて説明する。
しかし結論から言うと 「もう無理よ。 終わったのよ。 二度と帰らないわ。 新しい恋人と一緒に住んでるのよ。 だからもう電話してこないで!」 とあまりにも冷たい言葉で拒否され、さらに罵声がとんで来た。 
 唐 は激怒し、怒りにまかせて階段を駆け下り、嬉しそうにカードを見ていた 陳諾雯 をナイロンのひもで絞殺したのであった。 

 では 二人目の失踪者・嚴佩珊 はなぜ、唐永強 と一緒に ミニバス に乗り込んだのか?
 嚴佩珊 は意外にも事件の約 3 週間前 から 唐永強 とは面識があったのである。 嚴佩珊 が自宅のある団地・朗屏邨 の下の公園で独りで遊んでいたところ、唐 が 「うちの子供たちと一緒に遊んであげてくれないか?」 と話しかけてきた。 その時も 唐 は三人の子供を連れていた。

 嚴佩珊 も 唐 の子供たちと遊んで楽しかったのか、唐 と携帯電話の番号を交換し、唐 の子供たちとまた一緒に遊ぶことを約束したのだった。

その後は 唐 が電話したり、嚴佩珊の 方からも電話して一緒に遊んだりすることが続いた。

唐 と 嚴佩珊、三人の子供たちは 五人で、時には公園で、時には 合益広場の暴龍楽園 で遊び、のちには白沙村の 唐 の自宅にも行って遊んだことがあったという。 2002 年 12 月 18 日、嚴佩珊 はまた 唐永強 や子供たちと翌 19 日に 暴龍楽園 で遊ぶ約束をした。 しかし、当日に会ってみると 唐 の家に行って遊ぼうということになったのである。 それで 19 日当日は ミニバス で 唐 の自宅に行き、前回来た時と同様、1 階のおもちゃで 唐 の子供たちと遊んだり、パソコンでゲームをしたりしていたのだった。 しかしその姿を見ているうちに、またもや 唐 は自分と子供たちを捨てた 妻・樊柳珊 を思い出した。 そして 嚴佩珊 に 2 階に来るように声をかけた。 嚴佩珊 が上がってくると 唐 は枕を 嚴佩珊 の顔に押しつけベッドに押し倒した。 そしてさらに強く枕を顔に押しつけつづけたのである。 おそらく 嚴佩珊 は最初は遊んでいると思っていたかもしれない。 しかし、唐 は本気で 嚴佩珊 を殺すつもりでいた。 嚴佩珊 は窒息死した。

唐 はこのように二人の少女の命を奪い、その後に二人を屍姦していたのだった。 特に 嚴佩珊 には陰部のみならず肛門にまで激しい裂傷があったことが確認されている。 
 昨日、唐 が石油缶を持ち出しての放火騒ぎを起こさなければ二人の少女の遺体はその後も発見されず、未解決事件になっていたかもしれない。
 唐永強 が異常であることは確かだが、ここまで異常なのにはどのような背景があったのか?

                                         (明日に続きます)