「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」

          イザヤ 43章 19節 

すべてのものの根源は神にあります。

私たちの生活も全て、人の知恵やわざによらず、神の力、知恵、わざによるものです。毎日、神は私たちのために新しいことを始めてくださいます。

 

時には、願わないこと、いやな事であるかもしれませんが、それらの背後に隠された神の意図、摂理が必ずあります。人の想像、知識を超えた神のわざに期待しましょう。

やがて訪れるメシア王国(千年王国)では「渇き」がありません。

 

なぜなら、生ける「水」と「その流れ」が豊かにあるからです。新天新地における「聖なる都」「新しいエルサレム」にも、神と小羊との御座から流れ出る「水晶のように光るいのちの水の川」があるのです(ヨハネの黙示録22:1)。その「いのちの水の川」とは御霊ご自身とも言えます。

その「水」を飲むことのできる人は幸いです。それゆえ、「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。」(イザヤ55:1)と呼びかけられているのです。「水」はヨハネの福音書の重要なテーマとなっています。「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)と主イエスが言われました。「聖書が言っているとおりに」とあるように、この祝福はすでに旧約で何度も繰り返して語られていたことなのです。

神は御自分で為されたことには必ずその結果に対して何らかの責任をお取りになる」方だ。故に希望をなくすことはない。