「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。」
詩篇 103編 8節
日本人にとって、神は怖い、厳しい、非情なものと思われています。しかし、まことの神は決してそのような方ではありません。勿論、神ですから、わたし達とは次元が違います。厳格で、義なる方、聖なる方です。だからといって、無情無慈悲ではなく、豊かな愛を注いでくださる方です。私達を尊い自分のかたちに造られ、それゆに愛さなければおれないのです。神を深く、深く知りたいものです。
さて、ここで、大切な問いがあります。
なぜ、主が私たちに対してこんなに良くしてくださるのか。
なぜ、主は私たちに対してあわれみ深く、情け深いのか。
なぜ、主は私たちの罪に従って扱うことをせず、咎に従って報いることがないのか。
その答えの第一は、13節にあります。
「父がその子をあわれむように」。 神と私たちの関係は、裁判官と被告人の関係ではなく、神が、父と子の関係を築きたいと真剣にそう思っておられるからです。そのような関係を回復したいと願っておられるからです。
答えの第二は、14節にあります。
「主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりに過ぎないことを心に留めておられる」ゆえにです。
つまり、私たちの存在のはかなさ、弱さのゆえです。人が何者かになり、何かを得たとしても、その出発において、地のちりであることを知っておられる。人がどんなことをしてみたところで、人は神の息によってのみ生きるものとされたのです。
この神の息、神のいのちを失ってしまったならば、無に等しいのです。そんな存在であることをご存知であるゆえに、あわれみを示しておられるのです。
無に等しい私たちを愛し、そのために御自身の最も大切な御子を惜しまずに手渡された神の愛とあわれみ、そのことを知ることが、「主を恐れること」なのです。