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今日は母の祥月命日でした。
朝に娘と仏壇の前でお参りしながら、丸5年経ったんだなぁ…と。

母が亡くなる前の事や、闘病していた頃の事を思い出すと、色々と吐き出したくなる。
だけどいざ書こうと思うと上手く言葉が出てこないです。

母が入院中に、私もずっと前から予定されてた自分の手術を受けました。
母はその頃比較的元気そうだった(そう見えた)けど、主治医からはいつ急変してもおかしくない状況と言われていました。
私の病気は比較的進行の遅いと言われる箇所に出来た悪性新生物(俗に言う癌てヤツです)
だから、今は母のそばを離れるのが嫌で、私は手術を延期してもらおうと自分の主治医に相談したけれど、「若いあなたが、手術を伸ばして進行が進んだり、転移してしまう可能性だって無いとは言えないから延期は勧められない」と言われてしまい、予定通り手術する事に。
父と私が交代で、母の病院に泊まり込んでいたので、急に私が来なくなると母はきっと変に思うだろうと思い「私、しばらく検査入院する事になった。検査だから心配せんでね。」と伝えました。

母と私は入院している病院が違っていたので、私は病院から毎日、母の携帯に電話してました。
電話口の母はしきりに私が何の検査で入院しているのか?と心配ばかり。
でもこの時も母の声は元気そうだったのだけど…

2週間程の入院と言われていたのに、数日早く退院出来ることになったので、母にすぐ電話して、退院したから会い行くね~って言ったら、「早く会いに来て」と泣いている母。
直ぐに母のところへ行って愕然としました。元気そうだった声とは正反対な母の弱りように。

それから4日後。
妹と看病を交代しようと病室に行ったら、妹が
「お母さん、段々弱ってて、今電話しようと思ってたとこ。」と。意識もない感じで、目も大分上がってて…
でも、妹が
「お母さーん、お姉ちゃん来たよー」と声を掛けると「あ…」声にならない声で反応してくれて。
最後は父と私と妹で看取りました。

その当時、『トイレの神様』って歌が流行ってて、その歌詞にも出てくるように、母は私が退院して会いに行くまで頑張って待っててくれたんだなぁ…と今でも思えてならないのです。
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最後まで読んで下さりありがとうございます。