さぁ、今日は語りまっせ~(´∀`*)
こんな感じ(//∇//)
この映像は、「母という職業が子どもをダメにする」と結論を出した、中西理恵ちゃんとのながーーいトークを繰り広げた立ち飲み屋での1枚(笑)
そんなことはいいんだよ(笑)
長文なので、スルーはご自由に~
14歳の3月、父が病気で亡くなりました。
それまでの母は「自分」を生きていた(と思う)
うじかわは憧れておりました。
いつも美しく、自分がやりたい仕事をして、自分を生きてる人に見えたから。
しかし母は、父の闘病中、そして他界してからも、ボロボロになった姿を私達に絶対見せませんでした。
隠れて泣いていた。
隠れて絶望していた。
「母」だから…
子ども達が心配しないように
子ども達が絶望しないように
「妻」だから…
本人が心配しないように
本人が絶望しないように
「嫁」だから…
祖母が心配しないように
祖母が絶望しないように
本当は…
自分が心配してて
自分が絶望してる
なのにね。
父が他界後、引き上げた荷物の中に、母が書いていた闘病日記を見つけてしまい、思わず読んだ。そこには壮絶な日々が綴られていた。
母という人のココロも書かれていた。
絶望、葛藤、希望も。
不謹慎だが、とても人間らしかった。
と同時に、子どもとしては、その姿見せて欲しかった!という思いがいっぱいになった。
「一緒に闘いたかったよ!なんなんだよ!言ってくれよ!ふざけんなよ!」と泣き倒しました。
でもね、隠れて絶望してる人に言えないですよ。
なんだか、大きな後悔とやるせなさが、長~~い間、私には残りました。
宗教でそのやるせなさをなんとかしようともしました。なんとかなるわけないのに…
うちの祖母は、かえって絶望しました。
祖母からすると、突然息子を亡くしたのです。
そうせざるを得なかったのも今から少し分かります。
でもね、
「隠される」って本当に悲しいのです。
そんなの、ちっとも優しさやない!
どれくらいか経ち、看護師として復帰した母は、少しずつ笑顔が戻ってきました。
しかし、「子ども達のために」という発言が目立つようになった。
それを言う事で、自分を鼓舞して生きてるのを知ってたから、別に気にしなければいいのかもしれないけど、私はそれに付き合っていたんですね。
アタシはどんどん頑張っちゃうわけです。
自分のためにではなく…
そんな母が楽になるためにと思って、陸上で特待生として高校へ行った。
だって学費免除だったから。
母はもちろん「自分の好きな学校に行きなさい」と言いましたよ。
でも、もう私の判断基準は、母になってしまってた。
そんな選択すると、自分の人生を生きてけなくなるなんて分からずに…
そん時はそうしたかったんですね…
「インターハイに行くと、母には旅行になる。」
だから頑張っていた。
「自分のため」なんて思ったことなかったです。
しかし、高校を卒業する時、私立の女子校で自由を謳歌し、生きてるのが面白くてたまらない人達を見てきて、それがたまらなく魅力的で、さっさと陸上の道は捨てました。
大学や実業団からの声もあったようでしたが、もう続けたくなかった。
周りは勿体ないと大騒ぎするし、陸上の特待生が、造園の学校なんてうちの高校から行った人なんていないからと、推薦もしてくれない。
「別にいいですよ、でも何のための進路指導すか!」と担任に言ったもんです。
母も珍しく進路に口出し
「せっかくやってきたんだから…」と、理学療法士になる事を勧めた。
またね、受けちゃうんですよ私(笑)
「母軸」で生きてたんで(/ω\*)
ま、面接でヤル気がないのを敢えて全面に出して不合格でした(笑)
失礼な奴ですね~(笑)
そして、造園の学校へと進みました。
家業だったから。
理由はそれだけ。
それでしか大きな顔して家を出られなかったから。
それでも良かった!!
少しずつ世界が広がっていくと、家族以外からの刺激で、ある時気付くのです。
「自分の人生は自分のものであり、自分として生きていいのだ」と。
これを教えてくれた友らは、今も親友です。
つづく(ノ´▽`)ノ
