我慢できないので書いておきます。
「彼のために心配してあげてる」
そう顔に書いている
学童の先生2人に囲まれた。
巧みに表現を変え、
完全に自分達の
「親切だと思っている目線」 で語っている。
1人は涙まで流している。
もう、本っ当に勘弁して欲しい。
こうやって、
「心配してあげてね」
と、優しい口調で刷り込まれてるお母さんが
どんだけ翻弄されてるか知らないんだろうな。
この人達には分からないのだろう。
言った事が理解できてないと思い込み、
「できない」を見つけては心配するのだ。
「じゃあ心配しなくていいの?」
そう思う方いらっしゃると思います。
では、そこから何が生まれるでしょう。
①心配の種を見つけた
↓
②できない理由を探す
↓
③何かのせいにする
↓
④悩む
↓
⑤「できない」ばかりが見えるようになる
↓
⑥子どものためだと、アレコレやる。
↓
⑦疲労困憊
↓
⑧「こうなったのは誰のせい?」と問いかける
↓
⑨できないと思い込んでいる目の前の我が子を責める
↓
⑩自己嫌悪
ここからもまだまだ自虐行為は続くでしょう。
これ、私の周りにもかなりいらっしゃいます。
私もそうでした。
勘違いしてしまった。
そして、どんどん「流れに乗れない可哀想な我が子」と思い込み、「素晴らしい未来が待っている子」と信じてあげられないのだ。
「できる」事を見てあげる方が先じゃないですか?
母が子どもの未来を信じてあげないで、何を信じるんだよ。
何も、好きな事だけやらせてる
ワケじゃない。
諦めてなんていません。
みんな毎日工夫して暮らしてます。
求められる時に気付かないだけで
それが数回あるだけで、
特別な支援が必要ですと簡単に勧めてしまうのは、法律ができたせいもありますが、そもそもなぜできたかを知らない人(子どもを預かる人)が多過ぎる。
そこには、「できるだけでいい。君は君として当たり前に生きていっていいんだよ。」という、ある父親の思いからできているのです。
少なくとも、私は、あの法律ができた時に調べ、そう感じました。
そこも知らない人達が「枠」を運んでくるのだ。
私にはモンスターにしか見えない。
今朝、素晴らしいオジサンのスピーチに触れたから、尚更そう思った。
未来を信じようよ。