Taiが11歳になった。
と、また天使なことをサラッと言ってくれる。
よくぞ11年もの間、天使でいてくれたものだ。
けど、彼は演じているわけでも、気を遣っているわけでもない。
そういう子なのだ。
3歳になったばかりのころ。
当時住んでいたテラスハウスの隣がコンビニだった。
お姉ちゃんが、ひとりでおつかいに行ってくれていたから、きっと真似っこしたかったのだろう。
ある日、隣のコンビニでクラクションを何台も鳴らすのが聞こえてきて、何事かと、Taiを連れ見に行こうとしたら、そのTaiがいないのだ。
わたしはドキっとした。
慌てていくと、駐車場の真ん中にTaiが笑顔で立っていた。
何度も頭を下げ、家に帰った。
一生懸命、「危ないんだよ!」を伝えた。
けど、視線も合わないし、言葉で理解させられなかった。
その後も、お風呂上がってすぐとか、おえかきしている途中いきなりとか、だいたい母が注意できないタイミングで、彼の「おつかいごっこ」がはじまった。
「いつでもWelcomeさ!次はうちかなぁ」というご近所さんばかりだったので、その点は救われたのだが、安全な場所ばかりではない。危険なところだって沢山ある。
見張っていればいいのだろうが、そうもいかない。
その時、いつもTaiのことを気にしてくれていた知人の顔が浮かび、電話した。
「やっと気がついたか!」
そう言われて、勧められた先生のとこに言った。
しかし、そこに答えは無く、Taiのことなんてなーーにも知らない医者に、ただ「枠」を差し出されただけだった。
私は「そんなのいらない」と思った。
そんな「枠」があったとしても、まずやるべきことがある。
ひとりの人間として向き合ってみようと思った。
「こころを合わせる」
これができれば、生きて行けると思ったからだ。
いつも見守っていたけど、向き合うことなんてまだ先かなと思ってたから。
「こころを合わせる」ことを意識した翌日のこと
2階で洗濯物を干していたら、
「ママ~!」とTaiが私を呼んでいる。
はじめてだった。
嬉しくて嬉しくて、すぐに下におりると、Taiがしっかり私の目をみている。
「ママ、ぼく、たのしい!たのしい!」
そう言いながら、これを渡された。
はじめて人間を描いたのだ。
ひとりずつ、これはだれ?と聞くと、指を指したり、一生懸命名前を言おうとしていた。
慌てて、隣の画家さんに見せると
「やっとみんなと一緒に歩けるようになった。認めてくれてありがとう、って言ってるよ」
と言われた。
涙が止まらなかった。
それから、彼のペースに寄り添っていった。
しかし「枠」とは怖いもので、「枠」は愛だと渡される事もあるのだ。
それを愛だと思い込んでしまったわたしのは、どんどんTaiを追い詰めた。
そのままでいいはずなのに、そのままではいけないと。
ココロが作動しなくなってた。
方法に走り、どんどん追い詰めた。
自分も。
それでも、Taiのことを一番わかっている自信だけはあった。
今から思うと笑える。
昨年、Katsuさんのセッションで、それはすぐに見抜かれたのだ。
「彼を受け入れてないですよね」
衝撃だった。
「でも、でも…」と、言い訳しか浮かんでこなかった。
けど、認めるしかなかった。
愛だと思い込んでた「枠」
いらないんじゃん。
そして先日。
KatsuさんのFacebookの投稿に
(以下抜粋)
「枠は、自分で作ってるのです。
出来ないは悪くない
下手くそは悪くない
愛想ないのは悪くない
ちゃんとしないのは悪くない
不真面目は悪くない。
よ♪
やれるのが良いではない
上手は良いではない
笑顔が良いではない
ちゃんとしてのるは良いではない
真面目は良いでない
よ♪
元々 枠なんてないのです
今を受け入れる事
今の自分を受け入れる事
それを知ったスタートと知らないスタートは意味も場所も違う。」
やっと、この「枠」が外せた。
ごめんねTai。
きっと、キミは「いいんだよぉ」と簡単に許してくれるんだろう。
キミはやっぱり天使だ。
ありがとう。おめでとう。


