弘法大師、空海の説く世界観とは | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

弘法大師、空海の説く世界観とは

 お大師様(空海)の著した仏の教えは、きわめて広大かつ深淵なものであり、それを読み解くことはとても良い心のトレーニングになっています。折々に空海全集や空海コレクションを本棚から引っ張り出して、読み進めることは体に良い汗をかくのと同じような効果を精神にもたらしてくれます。

 さて、今回紹介したいのは、「請来目録」と呼ばれる、空海が唐から持ち帰った各種仏典や仏具の膨大な目録の中の文章です。

 弘法大師空海(774-835)が20年という長期留学僧として唐に派遣された(803年5月難波津発、嵐のため南に漂着し長安に入ったのは同年11月)にもかかわらず、短期間で帰国を果たしました(806年6月8月明州発、10月博多着)。
実際には朝廷から20年唐で修行してくることを命じられていたにもかかわらず、その期間を満了せずに帰国することは当時大きな罪であり、場合によっては命を失う危険のある行動でした。
 その背景には、入唐の目的であった密教伝授を受け終えたこと、また空海に密教を伝授した第七祖恵果阿闍梨から早く日本に戻って布教を行えという指示もあったことが伝わっています。
しかし、それとて朝廷の命に背く理由にはなりません。「請来目録」はその意味で罪の許しを請う嘆願書という側面もあったわけです。

 その結果、その中で密教が顕教に対していかに優れているかということが縷々記されていることは想像される通りです。

 しかしながら、そのこと以上に、とても重要だなと感じた下りがあります。(本来漢文ですが、ここでは宮坂宥勝氏の訳文をベースに紹介します)

 真理(の悟り)は元より言葉ではないのですが、言葉がなくてはその真理をあらわせません。絶対真理は現象界の物を越えたものですが、現象界の物を通じてはじめて絶対真理を悟ることができます。
月を指し示す指に迷うことがあっても、その迷いを救う教えは量りしれません。それは何も目を見はるような奇異な教えが貴いというわけではありません。国を鎮め、人を幸せにするものこそ価値ある宝なのです。
 その中でも真言密教は特に奥深く、文筆で表し尽くすことはむずかしいものです。ですから図画(曼荼羅等)をかりて悟らない者に開き示すのです。さまざまな印契も、みな御仏の大慈悲より出たもので、ひとめで見て成仏することができます(後略)
(以上、空海コレクション2、ちくま学芸文庫より)

(訳文の解説、こちらも宮坂氏の文章をベースに作成)
 密教の教えの特徴として曼荼羅図や立体曼荼羅などが挙げられますが、これはこの世界(宇宙)の姿を象徴しています。そして、曼陀羅の根源をなす御仏は大日如来であり、その実体は宇宙生命そのものを当体とし、森羅万象(世の中のあらゆるもの)として表れている(そしてそれぞれに生命活動を無辺に生成しつづけている)
 (これが悟れると)本来、生仏不二一如にして、本性として仏と衆生(人間)とは一体であるとわかる。そしてこの宇宙の仕組みを、生命の秘密伝法の系譜として位置付けるため、灌頂という秘儀の中で曼荼羅に結縁し、一都に直結成仏を果たすのである。

 最後のところの、生仏不二一如というは、大宇宙の生命を仏と看て、生を衆生(人間)と看たときに、その二つは別々のものではなく一体なのだという悟りです。本体と分派と言ってもよいでしょう。灌頂という儀式で僧侶が曼荼羅図の中の諸仏の一つと縁が結ばれることは、人間が宇宙本体と一体であることを直感的に悟らせるのはそういう意味なのです。
 昔、河合隼雄氏が花に対して、「あんた花やっておられるんですな、私は河合隼雄をやっています」と話されましたが、その話をふと思い出しました。河合先生も生命というものがこの世には隈なく遍在していると感じられていたのだと思います。

 前段に話を戻せば、真理(の悟り)は必ずしも言葉として表現できるわけではない、だからこそ、行(現代なら瞑想など)によって言葉にならない真理を掴むことが大切だということも伝わってきます。
そして、宗教に止まらず、武道や芸能・芸術の世界であろうと、学問やビジネスの世界であろうと、一身をもってその世界の修行に精進し続けることができれば、言葉にならない真理の世界を感じられることも十分にありうることと思えてきます。