中村天風師の名言を紡いで生まれたドラマ | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

中村天風師の名言を紡いで生まれたドラマ

その昔(1967~1994)城達也氏がパーソナリティを務めていたジェットストリーム(現在も番組は継続中)は、深夜に勉強するにはもってこいの番組でした。

その冒頭のナレーション(堀内茂男氏作成)は次のようなものでした。

 

遠い地平線が消えて、

深々とした夜の闇に心を休める時、

遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、

たゆみない  宇宙の営みを告げています。

 

満天の星をいただく果てしない光の海を、

豊かに流れゆく風に  心を開けば、

煌(きらめ)く星座の物語も聞こえてくる、

夜の静寂(しじま)のなんと饒舌なことでしょうか。

光と影の境に消えていったはるかな地平線も

瞼に浮かんでまいります。

 

ミスターロンリーの曲にのったナレーションは、実際に国際線に乗って海外でビジネスをするようになっても色褪せることなく私のエネルギーのひとつでした。

フライトの先には、私がお手伝いできる仕事があるという思いが私を支えてくれていました。

 

突然、こんなことを思い出したのには、訳があります。

 

平野秀典氏の新刊

『感動の創造 新訳中村天風の言葉』(講談社)

この本のプロローグは、哲人中村天風という巨人の肩を借りて、今の時代を眺めるというメタファーが記されています。そして、あとがきで、平野氏は、その景色を眺めて、想像以上の感動の地平が拡がっていました、とも書かれています。

そして、「あの頂きで会いましょう」という、天風師の呼びかけを平野氏は感じたというところで、94年12月の自身のジェットストリームの最終回に城達也氏がリスナーに向けて語った、「また、いつの日か、夢も遥かな空の旅でお会いしましょう」がダブってしまいました。(彼は翌年の2月に食道がんで亡くなります)

 

ああ、そうだったなあ。両親を含めた多くの人を見送ってきたという思い。彼らから返しきれない恩を受け取ったなあ、と感じずにはいられませんでした。

そして、宇宙の営みは、当時も今も変わっていないと感じました。

 

そして、本文の中にある、天風師の格調高い名言。(引用元は名著『運命を拓く』)。

『(まこと尊きかな、)人間は進化と向上という

 偉大な尊厳な宇宙法則を現実化するために、

 この世に生まれてきたのである(運命を拓く)』

 

世の中の進化向上に、自らの力が不足していることは自覚しつつも、

それでもこの言葉に何度も励まされ、前に進んだものだという記憶が蘇ってきました。

 

人にエネルギーを与える言葉、それは実践することでさらに肚落ちして、習慣となれば、さらに力強い信念となって人間を支え、成長させてくれるものです。

そのことを改めて思い出して、成長し続けようと思いました。

 

もうひとつ。

この本の中で、私がハッとしたところ(沢山ありますが、一番のところ)があります。

それは第二章絶対積極の見開きです。

右のページに絶対積極、

左のページに晴れてよし、曇りてもよし、富士の山

この見事さにやられました、脱帽です。

 

天風哲学の絶対積極(ぜったいせきぎょく)の世界は、相対的な積極・消極ではありません。

たとえ身に病があっても心まで病すまい、という状況がマイナスの状況であっても、精神(心)がそれに動かされない状態、苦しさの中でなお楽しみを見つける強い心、言い換えれば、本当の平常心の世界が絶対積極です。

この俳句自体は、昔から知っている有名なものですが、それまで絶対積極は虚心平気とか、泰然自若とかという説明をしていました。

それを富士のメタファーであっさりと置き換えてしまう、鮮やかさ。

 

このページを見るためだけに買っていただいても損はしません(笑)

 

すでに2日間で3度読み返し、これから、何十回と読み返すことになりそうな一冊です。

世間はもう師走ですが、そういう時期だからこそ読んでいただきたいと思います。

 

お薦めです。

 

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