身近に感じてこそわかる障がい者雇用の意味 「日本でいちばん大切にしたい会社」 | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

身近に感じてこそわかる障がい者雇用の意味 「日本でいちばん大切にしたい会社」


日本理化学工業の大山会長の話はすでに何度かこちらのブログでも取り上げています。一番最初にこの会社のことを知ったのは、今ではシリーズ累計60万部を越えた「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司著、あさ出版)だったと思います。
最近、そのシリーズの4冊目が出ました。これもお勧めですが、その4冊目の最後に、過去の3冊を紹介する部分があります。
今回は、その中で取り上げられた日本理化学工業が障がい者雇用に取り組むようになった下りを紹介させていただきます。

(引用ここから)

 そもそもの始まりは、近くにある養護学校の先生の訪問でした。昭和34年のある日、一人の女性が訪ねてきたのです。
「私は養護学校の教諭をやっています。むずかしいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子どもを、ぜひあなたの会社で採用していただけないでしょうか」
 障害をもつ2人の少女を、採用してほしいとの依頼でした。
 日本理化学工業の社長(当時は専務)の大山さんは、悩みに悩んだといいます。その子たちを雇うのであればその一生を幸せにしなければいけない。しかし今の会社に、それだけのことができるかどうか・・・・。そう考えると自信がなかったのです。
 大山さんは断ります。しかしその先生は諦めず、またやって来ます。そして、3回目に、先生は「せめてお願いを一つだけ」と、こんな申し出をされたそうです。
「もう採用してくれとはお願いしません。でも就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。私たち健常者より、平均的にはるかに寿命が短いんです」

 こうして就業体験が始まりました。会社は午前8時から午後5時まで。しかし、その子たちは雨の降る日も風の強い日も、毎朝7時に玄関に来ていたそうです。親御さんたちは午後3時くらいになると、「倒れていないか」「迷惑をかけていないか」と、遠くから見守っていたそうです。
 そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。
「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。
「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。これっきりにするのではなく、正社員として採用してください。もしあの子たちにできないことがあるなら、私たちみんなでカバーします。どうか採用してあげてください」
 これが私たちみんなのお願い、総意だと言います。
社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から就業時間まで、何しろ一生懸命に働いていたのでした。
仕事は簡単なラベル貼りでしたが、本当に幸せそうな顔をして、一生懸命に仕事をしていたそうです。

(後略)
(引用ここまで)

人間というものは知らないものは、不安材料なので回避するのが正しいとすり込まれています。
障がい者雇用という部分も、現在は規制があり一定の比率の雇用を義務付けていますが、それに違反しても罰金で済むのが実情です。
そもそも50年前の日本では障がい者雇用という考え自体が希薄だったことでしょう。

それでもなお、目の前に障がい者の子どもがいて、一生懸命に仕事をする様子をすぐそばで見れば、これほど周りの人の気持ちを動かすことがあるのです。
経験が、人間の意識を変えてくれる瞬間です。
仕事をするよろこび、しあわせという言葉、これを感じることができるように経営者も従業員も努力することが当たり前になる世界が少しでも広がっていくように一人ひとりが前進していきたいものです。

ではまた。