青年よ、大志をいだけ に込められた真の意味(クラーク博士) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

青年よ、大志をいだけ に込められた真の意味(クラーク博士)

クラーク博士が札幌農学校を去る時に学生たちに与えた言葉、「青年よ、大志を抱け」は、皆さん一度は耳にしたことがあると思います。

では、その意味は?

えっ、そのままじゃないの。 と思われた方。ありがとうございます。

おそらく、違うと思います(笑

そのことに、ある先人が回答を残してくれていました(感謝、合掌)

そのある人とは、碩学安岡正篤氏。
生前このように発言しています。ご参考までに供させていただきます。
漢文調が入り、むずかしいかもしれませんが。

クラーク博士の真意(Boys be ambitious!)(解題:安岡正篤 知命と立命 p.193~)

札幌農学校の名師クラーク去るに臨んで子弟に与えたる一語、世に知らざる者なし。
而して多く其の片鱗を伝えて、全きを知らず。
Boys, be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent things which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
青年よ大望を持て。金銭や利己的誇負(こふ)のためならず。世の人々の名誉と称するその実虚しきことの為ならず。人として当にしかあるべきあらゆることを達成せんとする大望を持つべしと。
かくありてこそ語の瑕疵なきなり。

「ボーイズ・ビー・アンビシャス」だけは誰でも知っている。
けれども彼はそれだけではない。その後に次のように言っている。

Boys, be ambitious, Be ambitious not for money
 金を欲しがるのではない。金に対する望みを持つのではない。

 or for selfish aggrandizement. グランドというのは大きいという意である。それを動詞にした aggrandize は自分を光り輝かすことだ。つまり利己的誇負、虚栄―――おれは偉くなってやるんだ、大臣になってやるんだ、有名になるんだ、これは皆 selfish aggrandizement。そんなアンビシャスになれと私はいうのではない。

 not for that evanescent things which men call fame 人々が名誉と呼ぶところの実は何も内容のない evanescentは虚無、空しいという意味。空しきことのためではない。世の人々が名誉と称する、実は何も内容のないことのためでもない。

それでは、何にbe ambitious であれというのか。

 Be ambitious for the attainment, attainment of all はあらゆることの達成。

 that a man ought to be. いやしくも人たるもの(a man)は、かくあらねばならない(ought to be)ということの、あらゆることを達成する、実現する。人間は正直でなければならない。勇気がなければならない。辛抱強くなければならない。
 「窮して困(くる)しまず。憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わず」というようなことが、人としてあらねばならぬことの内容である。
そういうことのすべてを達成しようというアンビシャス、大望を持て。

「青年よ大望を持て。金銭や利己的誇負(こふ)のためならず。世の人々の名誉と称するその実虚しきことの為ならず。人として当にしかあるべきあらゆることを達成せんとする大望を持つべしと。」

達人のいうこと、真理を学んだ人のいうことは古今東西、みな一如である。
こういうのは本当の志であり、これが本当の学問であります。
そういう学問はなにも学校に入らなくてもできるのだ。
このくらいの英語は諸君覚えていていいね。

こういうものをしみじみ読み、考え、味わってゆくと、それこそ「面目愛すべく、(あるいは)敬すべく、語言味わいある」に至るのである。こういう学問をしないと、いくら金をこしらえても、また出世しても「面目憎むべく、語言味わいなし」ということになって、心ある者から「ああつまらん奴だな」と思われることになる。(本稿は、安岡氏が昭和40年7月の講演録の一部抜粋である)



ああ、そうなのかと感じられた方も多いのではないでしょうか?

最後のところは、最近のどこかの国の状況を見ているような気分にもなってしまいますが、

人間として生きていく上で、どこまでも敬虔な人格を保ち、この世を去るその瞬間まで、こうありたいという情熱を忘れずに生きていきたいと思います。