聖書には迫害を受けて殺されることを選ぶ宣教師また布教するためには死をもいとわない、むしろそれを受け入れよという普通ならできそうもないことが書いてある。長崎ではキリスト教徒を踏み絵で探し、死罪にするということを江戸時代に行われた。
なぜこのようなことを言うのか。それはP大統領に戦争を止めるよう進言することで
抹殺されるかもしれないのに正義のためなら命を捨てることを覚悟するというキリスト教徒にしか理解できないことがP大統領の側近たち、また戦闘を放棄する兵士がいる
からである。大統領も同じく幼いころからキリスト教徒のようなしつけをされてはきたが、戦争を始めた責任はすべて自分にあり他の誰にも責任転嫁できないということ
からいまさら急に止められないと思い自身この戦争は間違いであることはわかっていてもやめられないのだろう。ただP大統領にすべて諦めてウクライナに対する侵攻を
止めるという決断をとるしか道はないと知らせることだ。ゴルバチョフ氏に名誉ある
退陣が認められたようにP氏にも認めよう。停戦を受け入れるなら戦争責任の罪に定められても司法取引で済まされることもだ。ウクライナのゼレンスキー大統領にも理解を求めよう。これをG7の共同声明として伝えればそして停戦を強く求めそれを拒むと
取り返しが効かないことをP氏に理解されることを祈ろう。