随分と時が経ってしまいましたが。。。
今月初旬3月9日に亡くなってしまったリーちゃんと、翌週の16日に亡くなってしまった茶太郎の事をようやく話せるようになれたので、伝えさせてください。
りーちゃん、茶太郎、お帰りなさい。
愛猫りーちゃんとの思い出から。
りーちゃんが6歳くらいの時、元の飼い主さん(保護主)が体調不良から飼育困難となってしまって、受け入れ先を探していると猫ボランティアを介して相談を受けました。
約10年くらい前のその頃、我が家には今のように沢山の保護猫は居ませんでした。
(多分、今の1/3の頭数も居なかったと思います)
なので、りーちゃんは兄弟猫のよっちゃんと共に我が家にやってきました。
二匹ともぷくぷくした体格で愛嬌も良く、とても可愛かった事を今でもハッキリと覚えています。
お兄ちゃん猫のよっちゃんと。毛色こそ違いましたが、目元が良く似ていました。
お兄ちゃん猫のよっちゃんは直ぐに里親様に繋ぐ事が出来ましたが、りーちゃんの事はあえて里親募集はしませんでした。
その理由は、りーちゃんがお外で暮らしていた頃に心無い人間から暴力を受け、背中をゴルフクラブで殴られたのです。
その事が原因で背骨も歪んでしまい、歩行も後ろ足を引きずりながら歩く事となり、後遺症からか、自力ではなかなか排泄し難い巨大結腸症にもなってしまいました。
我が家に来てから何度か腸閉塞を引き起こし、そのたびに動物病院で数日かけて💩を掻き出してもらう事になってしまったので。。。
以降はりーちゃんの身体のために対処法を考え、食事は消化し易い療養食に変え、排便をし易くするためにサイリウムも毎日、与えていました。
そして週に一度は浣腸を施して排便を促していました。
続ける事によって以降は腸閉塞になる事は一度も起きなかったので、亡くなる数日前までそれは続けていました。
手は掛かったかもしれないけど、そんな事は微塵も負担に感じなさせないほど愛くるしいりーちゃんでした。
何時も私の傍に来てくれて寝るのも一緒。
側に居る時は喉のゴロゴロ音はずっと鳴りっぱなしで、互いのお顔をごっつんこするのが毎日の日課でした。
本当に可愛かった。。。。。
他の猫たちへの面倒見も良く、リーちゃんの周りは常に猫達で溢れていました。
猫達だけじゃなく、りーちゃんは我が家に来てくれる来客にも大人気で、我が家で1番のウェルカムキャットでした。
玩具の中に入って遊ぶりーちゃん
とにかくお目目がクリクリで可愛かったりーちゃん
お友達のルミドンも沢山、りーちゃんの写真を集めて作品を作ってくれました。
ワガママボディのりーちゃんと牛太郎
お友達が作ってくれたりーちゃんのデコメ。
そんな可愛いりーちゃんは今年で16歳でした。
最後、連れて行った病院での血液検査では悪いところは全く無かったのに。
体重だって7キロもあったから。
普通なら健康優良児じゃない。
それなのに肺腺癌だなんて・・・・
なんでそんなタチの悪い病気が私の大事なりーちゃんに取り付いたのよ・・
なんで、りーちゃんになのよ‼︎
って、天を呪いたくもなりました。
呼吸がなんかオカシイって気付いてから、たった4日で亡くなってしまったりーちゃん。
今でもりーを思うだけで涙が溢れてしまいます。
失ってしまって尚更思う事ですが、りーちゃんは私にとって、とても大きく大切な存在でした。
とても悲しくて寂しいです。
でも、思い返せばりーちゃんの呼吸が苦しくて大変だった時、私はインフルエンザに感染し、自宅療養をしていたので片時も離れず傍にいれたのです。
そうでなかったら仕事に行かねばならず、りーの側には居てあげられなかった。
そう考えれば、最期の時をずーっと傍で見守ってあげられたから。。。りーちゃんは辛かったけど心細くはなかったよね。
先にお布団に入って待っててくれたりーちゃん。
亡くなる数時間前のりーちゃん、溜まった胸水を抜いて貰って少し楽になれたのに。。。
病院から帰って自分でご飯を食べに行けていたのに
また、苦しくなって横になっていました。側にはイノッチが。。他の皆んなも寄り添っていました。
牛太郎も心配してりーちゃんの身体を舐めていたわっていました。
最愛のりーちゃんとは、もっともっと長い時を共に過ごしたかったけど。。
命ある者は何時かは終わりが来るのが自然の摂理。
辛いけど、そう思って我慢するしかない(泣)
りーちゃん、あなたに出会えて共に過ごした日々、母ちゃんは最高に幸せだったよ。
本当にあなたの全てが可愛いく愛おしかった。
りーちゃんの事は絶対に忘れないからね。
いつの日か必ずまた逢いたい。
それまでどうかゆっくり眠ってお母さんの事を待っててください。
愛おしい、愛おしいりーちゃん
どうか安らかに。