1週間くらい前にイーロン・マスク氏が創設者である Neuralink 社がインプラントを埋め込み、順調に回復中であると自身の所有するXに投稿されました。
ニュースとして聞いた方も多いと思います。
どう思われたでしょうか?
私の場合はついに来たか…と言った感じでした。
否定的な意味でです。
もちろんこれはトランスヒューマニズムに繋がります。
イーロン・マスク氏はその発言からトランスヒューマニストでその推進派です。
Twitterの買収でそこの言論統制を緩和した人物として、市民側を向いている人なのかと思った人もいるかもしれませんが、トランスヒューマニズムは必要のない利便性をみんなのためになるかの様に論点をすり替えています。
茹でガエルでなければ、誰も脳にチップなどいれたくありません。
そしてそれはその内に人間の完全管理を可能にする技術レベルに達します。
物騒な話はとりあえず一旦置いておいて、前回二重の人生を送ったと感じていた フィリップ・K・ディック の話を紹介しました。
ちょっと極端な例を紹介してしまいましたが、それは事例なのでそのまま信じないでいただきたく、一つの秤として自分の生活の中で色々と当てはめながら検証してもらえると良いと思ってます。
何事もですが、真偽に関わらずそのまま信じてはいけなくて、それ以前にその人に受け取った話をじっくり測ろうとするだけの気持ちがあるのか、の方が大事だと私は思います。
世の中は条件付け判断をさせるための仕組みがそこいら中にあるため、違った目で見ることはいい機会です。
そしてこの話は現代ではする人が少なくても、時代を超えて生き残ってきた話なので一面としての本質というか、そういうものが眠っています。どう測るかはその人次第です。
話に戻ります。
昨今の世の中、訳の分からないニュースばかり飛び込んできますが、全てに共通していることがあります。
それは私達をどこまでも完全に支配しようとする試みです。それが共通して隠れています。
今見ている時事はそれに対する道筋を、さも自然な様に、さも貴方のためと言いながら、さも状況からそうするしかない、かの様に解釈を付けてますが…すべて詭弁です。
時事とその主流の解釈が誘導する先は全てが完全な支配に向かっています。
いつの時代も支配に向かうという面はそうなのですが、今やデジタル技術と通信技術、後はナノテクと遺伝子改変技術が完全に実用段階になって、その歪んだ支配欲を完全に満たすことが可能になりつつある、というか私達の心理的抵抗が一番の邪魔になっているだけという単に時間の問題だと思います。大多数が嫌だと抵抗しない限り。
ロードマップはもうできているし、私が改めて言わなくても知ってる人はもう知っていると思います。
イーロン・マスクもこの技術は医療用だと言っています。
疑う習慣のない人は信じますが、それが群れ全体を危険に晒します。気付いた人だけでも先に逃げられればいいけどそうもいかないし、全体がズルズルと引きずられていきます。
全体の青写真はとっくに用意されているのだけど、今抵抗している様に見える人達もその青写真の中に組み込まれている様に見えます。
例えば今だとフランスの…(割愛)は、どの道収集は付きません。
ここで実況中継の様に話すと消されかねないかもしれないので言いませんが、どちらに転ぼうとまあ酷い方向に向かっています。
何故この世界はそういうことが起き続けるのでしょうか?
というか、何故、常に支配欲に飢えたエリートが何時の時代も実権を握っていますか?の方が適当かも。
グノーシス主義の一部の見方では、この世界の支配者のことをアルコンと言っています。
グノーシス主義(と為政者側が見なしている)は諸派あって雑多ですから一部の、とさせていただきます。
アルコンは支配者の意味で、そのTOPアルコンがヤルダバオト/デミウルゴスということになっています。
そしてエリート(グノーシス主義で言うところのアルコンと同じ)が属する各種秘密結社は定期的にオカルト儀式を行っています。
彼らは総じてサイコパス気質です。
これらをどう見ますか?
ちなみに中世の悪魔の頭にはたいてい山羊の角が生えてます。
聖書では一般のキリスト教徒のことを子羊と呼んでいるのは皆さん承知だと思います。
羊 =大人しい
山羊=気性が荒い
という側面があります。
そして羊飼いの統率のための手段として、羊の中に一匹だけ山羊を混ぜておくと羊は群れとして山羊をリーダーと見なし付いていく様になるのだそうです。
つまりその一匹の山羊だけ飼い慣らせば、群れ全体を羊飼いが楽に統率できる様になる。
つまりアルコンの比喩として山羊角の悪魔が存在するのかもしれません。
実際に悪魔に山羊角が生えている訳でなく。
アルコンは古代ギリシャでは超高級官僚の一部の呼び名でした。
山羊と悪魔の比喩関係は単に私の推測ですが、聖書は何で人の集団を羊と呼ぶのか?偶然でしょうか?
聖書は慈悲と調和を詠った中に支配者側のエゴによる誘導があって…結構危険なものだと思います。支配者側の意図が入るまでは名実共に聖書と呼べるものだったのかもしれません。
冒頭でも言いましたが、こういうものも条件付けさせる仕組みの一部だと思ってます。
文化を問わずで誰にでも何かしらあります。キリスト教徒が特別おかしい訳ではありません。
社会(作られた常識)に従うことが正しいことだと思っているから、悪人でもない家族や教師などに善意で幼いころから丸め込まれてしまいます。
そして付いた癖はなかなか抜けません。その前に自分の癖を疑問に思わない限り何も始まりません。
さて、アルコンですがオカルト的な視点で見て引かれても仕方ないので、ユング的に考えてみます。
まずアーキタイプで見てみたいと思います。
多重人格障害(今でいう解離性同一症)というものがあります。これは主に子供の頃に過度のストレスを与えることで他の人格ができてしまうというか割り込んでくるというか、そういう現象です。
人の性格というのはアーキタイプの反映と見ることができます。
なにせ、人格の型というのは既にある訳です。
その主人格が現実の受け入れを激しく拒否した時に、性格の元になる他のアーキタイプが空席に座ってしまうと仮定できるのではないかと思います。
多重人格症では同じ性質の人格は重複せず、バラエティ的に性質が1つずつ発現する場合しか私は聞いたことがないので、分光すると虹ができる様なものなのかもしれません。
その中でその波長の色が反射されて特定の色を認識している訳ですが、性格の元になっている原型もそれに近いのかもしれません。
私は以前にオルタナティブメディアでゲイツ氏が少年時代に女の子の格好をさせられている写真を見たことがあります。
この風習は洋の東西問わず昔からあった様です。主に魔除けとか言われてますが欧米文化の方が女装の程度は酷くてほぼ男の子だとは分からないくらいに女装させる。
特にやっていたのは上流層やエリート層です。
子供同士の縄張り、競争、仲間、などの意識は日本よりかなり激しいと思います。
ちょっとした違いでからかわれ虐めの対象になる。
となれば、女装は子供を追い詰める方が目的だったのではないかと思いました。
子供の内というのは、逃げ場をなくして追い詰め続けると精神の乖離がおきやすいです。
普段から追い込んでおいて崩壊寸前だと思ったら自分たちのオカルト儀式に連れていく。
そこでは口に出すのもおぞましいことが行われます。
そうなるとその子は逃げ場を失い精神乖離が今おきてもおかしくない状況に。
その状態でその家の跡継ぎとして相応しいサイコパス的な性格に意図的に誘導されていたり…するのかもしれません。
単なる予想です。すみません。
でも一様にエリート層がそういう気質なのは裏に何かあります。
さて、ようやっとアーキタイプの出番です。
では、オカルト結社が特定の悪魔を崇拝していたとします。
サタンでもモロクでもなんでもいいという訳ではないですが、大雑把に見るならこれらは自我やエゴ意識のアーキタイプと言えると思います。
自我やエゴというのはとにかく強力です。精神を引きずり回す力強さにかけては他に類を見ないと思います。
で、エゴの原型を崇めてその組織の入会希望者にそれを憑かせて精神の原型を上書きする。
(普通の人を連日飲み会に誘ってアル中にしてしまうのに近いと思います)
それは私達の中にも当然にあります。原型なのだから全ての人が持っています。
ですが、そこが強く出すぎると人間関係も社会との関係も成り立たないから、自我を自分の中心に添える人は稀です。
だけどそれが為政者側であるならむしろ都合がいいと考える人達がいて、それが伝統になっているのかもしれません。
何で定期的に儀式を行う必要があるかと言えば、放っておけば精神が自然とバランスを取り戻し始めて普通の人の精神に戻ってしまうかもしれないからです。
もし、そのアーキタイプ自体が深層無意識領域に住む独立した意識体であるならお告げを聞くことも目的になると思います。
エリート達はエゴの限りと嘘の上塗りを尽くして得た、今の権力や組織図を守る必要があります。
だからアル中が酒を欲しがるのと同じで、定期的に儀式をすることでその特殊な自我意識を固定しているのだと思います。