こんにちはお疲れさまです
自己紹介を含めて私の妊活歴&治療歴を書いてみました
よろしくお願いします
私の今の状態は…
子宮内膜症からの?!不妊不育症です。
◎タイミング法では一度も陽性反応出たことありません
◎人工授精は半ば諦めのやっつけで2回したことありますが陽性反応なし
◎すべて体外・顕微授精の移植で妊娠判定陽性4回(移植回数は8回)
4回のうち流産3回、化学流産1回
第12因子欠乏症です。←若干数値が低いぐらい(60以上ほしいところの54です)
軽微ではある?かなと思う。
実際はわかりません
今までの妊娠のうちの3/5回は
初期胚2個or胚盤胞2個戻しによって、
おそらく?2個とも着床したのか?
判定日のHCG値はいずれも1個戻しの時の倍近くありました。
ちなみに5wちょうどで大量出血して進行流産になる経過も一緒でした。
一度リプロの松林先生にはブログで質問をした時に
卵管水腫による感染性流産なのでは?と言われました
でも主治医のALCでは染色体異常だから流産したと言われてます
真相は闇の中
ちなみに1回経験をしている稽留流産では、胚盤胞1個戻しが双子に成長しましたが心拍確認できず。
正常染色体であったことも判明しています。
私の中では不育症だから
引っかかっている凝固系の『第12因子欠乏症』のせいで大量出血して流産したのではないかと思っています
がしかし今回は
バイアスピリンをD2〜
ヘパリン皮下注射を移植日〜
開始して不育症の対策をしたにも関わらず、
またもや大量出血して流産となりました。
もし私の流産と似たようなご経験をされた方がいらっしゃれば…
お話伺いたいです
その後対策されて妊娠されたのか…
対策中ならば何をされてるのか…
お聞きしたいです
さて私の妊活暦をつらつらと書いてみました
色々経験してるので、経歴が長いです(笑)
読んでて疲れると思います
まとめたのに見にくくなってます
ご興味ある方はご覧くださいませ
時系列で並べてます
2011年24歳で結婚
結婚は同級生1番⁉だったかな。
あの頃は若かった笑
主人は大学の同級生です
18歳の時から付き合ってます(笑)
かれこれ15年(笑)
すぐ子供の予定はなかったので27歳ぐらいで望み始める。
みんなすぐできてたから、すぐできるもんだと思ってた
27歳
2014年頃〜すぐできなそうだし嫌な予感がしたので、わりとすぐクリニックへ。
問題なしと言われた。
この頃はタイミング見てもらえればできるだろうと思っていたし、仕事を優先していたので
仕事が休みで尚かつ病院も行ける水曜日しか受診しなかった。
あとは排卵検査薬ぐらい
28歳になり犬を飼い始める
長年飼いたかったわんこを飼ったら
癒やされてコウノトリがやってくるんじゃ!
と思って(笑)1年ぐらい病院行くのやめる
→結果が出ないし嫌気がさしてた頃
29歳
遠い知り合いの方がわんこが生まれたので飼ってくれないか?と打診されてもう一頭迎えて多頭飼いに
また病院再開したけど、先生の毎度同じことしかしないやり方に疑問を感じて転院を決意。
2016年の秋
2軒目のクリニック
初診の血液検査で『高プロラクチン血症』が判明はぁ〜今までなんでわからなかったの?
血液検査したら一発なのに!
もっと早く転院するべきだったと後悔
ちなみにプロラクチン30ぐらいで微妙に高いかなぐらいでした。
カバサールを週1で服用へ。
ここはタイミングが基本〜排卵誘発でフォリスチムを打ったり(もう販売中止になっちゃったね)、
hcgを注射して排卵させたりしてタイミングを合わせていきましたが出来ず。
妊活に本気を出し始めた頃。
病院に通いながら仕事に行ったりしてました。
30歳 2017年9月にチョコレート嚢胞疑惑→10月に確定。
主治医のドクターが手術ゴーゴー!な先生のため、悩みに悩んだけど手術することに。手術してきちんと取って妊娠に備えた方がいい。大きくなって妊娠できたとしても破裂したりもあるんだよ。とか色々説得されました。
セカンドオピニオンも考えましたがたった2週間で2→4㌢と大きくなるスピードが速くて手術を決意。体外受精も考えたけど手術がその時は最良の選択だった。
手術決意後、片側→両側のチョコレート嚢胞が確定
30歳 2017年12月に手術
開腹手術のため9日入院しました。
手術の時、卵管の通りや子宮周りも診てもらいました。多少子宮に癒着があり。
卵管通り問題なし
31歳 2018年3月から妊活再開
31歳 またもや秋にチョコレート嚢胞が再発この世の終わりだと思った。
なんで私?また?再発率の高さはわかっていたけど、手術から1年も経ってないよ?と毎日毎日泣きました。
泣いても解決しないんだけどね
主治医にも体外受精へ早くステップアップしたほうがいいと言われ(自分もそう思ったから疑惑のうちから説明会やら病院探しに動いた。というか一年前の手術宣告の時目星はつけていた)
そこは体外受精をやっていなかったので
また転院。
ALC(浅田レディースクリニック名古屋駅前)か成田病院(成田産婦人科)どちらに行くかで悩む。
説明会を両方行って話を聞いて決めました。
2018年11月からALCへ
運良くすぐに説明会→初診へと繋がり
11月に採卵。アンタゴニスト法。
このときAMH1.20
採卵数10受精卵9胚盤胞4つ、前核期胚4つ凍結
移植①陰性。5日目4ABでした。
移植②陽性5日目4AB
BT12判定日のHCG値1109(単位省略)
6w1dで出血出るまで、1回茶オリがでた程度で出血もなく調子良かった。
胎芽は確認(2つ)されるが心配確認
8wで稽留流産→掻爬オペ
2回生理を起こさせたのち
移植③陰性。6日目4BB
とここで貯卵がまだありましたが、
第二子も希望しているため採卵へ。
採卵② アンタゴニスト法
このときAMH0.84
採卵数11受精卵6(未熟卵あり、受精せずもあり)前核期胚6つ凍結
移植④
3日目分割期胚2つ移植(9A.と12A←それぞれ9分割、12分割のグレードAの意)
陰性
移植⑤ 水腫あり
この時の移植前に初めて右卵管に水腫確認
3日目分割期胚2つ移植(8A.8A)
水腫は穿刺して水抜き
陽性
ET14判定日のHCG2909おそらく双子だった…
5w0dで大量出血→胎嚢確認できず進行流産
〜お休み周期〜
セカンドオピニオン
成田病院(成田産婦人科)にて流産について相談。
卵管造影検査、子宮鏡検査を受けて問題なし。
水腫ありなのに軽微だから
卵管造影も問題なくOKでした
子宮鏡では自分でいうのもなんですが子宮はすごく綺麗でした
〜2020年突入〜
移植⑥ 水腫あり
5日目胚盤胞4ABと5日目3BB 2つ移植
陰性。
移植⑦ 水腫なし
3日目分割期胚8A、9A 2つ移植
陽性。ET15 HCG値917。判定日前日から生理1日目ぐらいの出血あり
→化学流産
貯卵なしのため連続採卵へ
採卵③ アンタゴニスト法
AMH1.06
採卵数17受精卵13胚盤胞3つ、前核期胚8つ凍結
採卵④ アンタゴニスト法
AMH測定なし
採卵数20受精卵15胚盤胞6つ、前核期胚8つ凍結
〜セカンドオピニオン リプロ大阪〜
慢性子宮内膜炎検査(BCE)陰性
不育症検査第12因子欠乏症となり。数値は54。
他は問題なし。
子宮鏡検査問題なし。綺麗。
移植⑧ ホルモン補充
リプロにて不育症対策
バイアスピリンをD2〜
ヘパリン自己注射を移植日夜〜
開始。
5日目胚盤胞4AA、6日目胚盤胞4AB 2つ移植
陽性
BT13判定日 HCG2621。
その後5w1dで胎嚢&卵黄嚢確認胎嚢の真横に出血層ありその前から出血あったりしていた。
確認からわずか3時間後大量出血→進行流産
移植8回中、陽性判定4回、陰性判定4回です。
着床の窓ズレはないと思われる。
着床障害もなさそう。
胎嚢確認あたり(4〜5w)の出血で胎嚢が流されるパターンを2回経験しています。
おそらく2個移植が向いていない可能性あり
不育症のため血腫や血栓ができやすい可能性あり
かなと…自己分析してます。
卵管水腫持ちでもありますが…
ALCはオペ否定派
着床しているし問題ないとの考えのようです
卵管水腫の自覚症状(排卵期の水オリ、茶オリなど)は今のところありません。。
水腫オペに踏み切れていません。
流産の原因は不育症なのではとの自分の推測論からです。。
そして現在に至ります。
参考にならないかもしれませんが
どなたかの参考になれば幸いです
絶対に絶対に諦めずにいつかママになるのを夢みて突っ走ります
同じ妊活戦士の皆さま
絶対にママになりましょう