小栗忠順 | 電気屋日記

電気屋日記

電気屋の社長のいろんな事

おはようございまっする!


今朝の東京は晴れ晴れ晴れ晴れ


昨日はポカポカ陽気で


ちょっと汗ばむくらいでしたな


今日も同じくらい気温上がりそう


重ね着で調整しよう


 

 

さて、小栗忠順(おぐり ただまさ)を

 

ご存じだろうか?


正確には


小栗上野介忠順

 

 

NHK大河ドラマ「晴天を衝け」では

 

筋肉オタク(笑)武田真治さんが演じてました

 

 

幕末好きな方なら名前くらい聞いたことがあると思う

 

というおいらは、日本史も世界史も

 

成績はいつも4~6

 

まあまあ好きな教科ではなかった(笑)

 

明治維新も外国の策略って思ってるし(笑)

 

 

んで小栗忠順ってどんな人だったかって言うと

 

安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国した。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。

徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えるも容れられず、慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁。同年閏4月、薩長軍の追討令に対して武装解除に応じ、自身の養子をその証人として差し出したが逮捕され、翌日、斬首[5][6]。逮捕の理由としては、大砲2門・小銃20挺の所持[7]と農兵の訓練が理由であるとする説や、勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)[8]などが挙げられるが、これらの説を裏付ける根拠は現在まで出てきていない。

のちに、明治政府中心の歴史観が薄まると小栗の評価は見直され、大隈重信東郷平八郎からは幕府側から近代化政策を行った人として評価されている。司馬遼太郎は小栗を「明治国家の父の一人」と記した[9]

Wikipediaより

 

この方が生きていれば

 

明治の時代ももう少し変わったものだったかもしれない

 

 

 

前から気になってた小栗忠順の碑を

 

見学してきました

 

道の駅 くらぶち小栗の里

 

こちらに車を停めて歩きます

 

このコキアかわええ

 

烏川沿いの道を進む

 

おっ!これか!

 

小栗忠順終焉の地

 

この地で斬首された

 

なんということを

 

 

 

せっかくなのでお墓にも行ってみよう

 

小栗忠順が眠る東善寺

 

曹洞宗の寺の参道

 

記念館建設予定地

 

東郷平八郎曰く

 

日本海海戦で勝利できたのは小栗忠順のおかげだと

 

 

本堂でお参り

 

ちょうど住職が朝のお掃除中

 

資料館を見ますか?って声をかけられたけど

 

今回は参拝だけでと丁寧にお断りしました

 

記念館建設費募金中

 

クラファンで募金できるようです

 

 

栗本鋤雲

 

ヨーロッパアルプスを登山した初めての日本人

 

 

小栗忠順の墓

 

階段を上っていきましょう

 

 

こちらが本当の墓

 

丁寧にお参りしました

 

山をグルっと回って

 

シロシキブ

 

高崎市倉渕町権田

 

昔は権田村だったらしい

 

マユミ

 

東善寺

 

 

戦いの勝利者が歴史をつくるんですな

 

改めてそうお思いました

 

できたら教科書にも乗せて欲しい

 

 

おし!今日もガンバロー!

 

 

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