今回の件でFacebookを見てて久しぶりにイラっとした話。 | まことのこと。

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香港 広州 日系 美容室 ではたらく 日本人 美容師 仲田 誠のブログです‼︎
香港の事、趣味の事、普段の仕事の事。そして石垣島に移住する計画の事。

何をするにも何かを気にしないといけない気がして最近めんどくさい。

ネット上での誹謗中傷や、一部の偏った人の意見が変に同調し問題がややこしくなったりしてないのか。

真実はわからなくてもよく分からない世論とやらにのって散々騒ぎ立て、正面にいない相手に対して間接的にネット上で誹謗中傷する。
そして時間がたてば何もなかったのかのように忘れ去られている事がたくさんある気がする。

それこそ無責任極まりない。自分で直接傷つけてないしとしても、責任のない発言は自覚がないイジメみたいなものではないのか?

原発の問題やら、小保方さんの件やら、東京オリンピックのエンブレム問題やら、集団自衛権問題、後藤さんの問題などなど。
日本国内でもいろんな問題が常に起きている。

本当の問題の原因はどこか分からないままで、報道によってターゲットにされた人が晒しあげられてる事はないのか?

いろんな意見がある事は悪い事ではない。

でも、それなら匿名ではなくきちんと責任のある形で議論すればいい。

やり方を間違えるとただの傷つけ合いになってしまい、憎しみしか生まれない。


今回のフランスのテロの件でたくさんの人がFacebookのプロフィール写真にフランス国旗の色を被せている。

それは純粋に亡くなった方々への冥福を祈る思いと平和への願いなんではないだろうか。
だからたくさんの人がやっている。

これこそ実は情報に操られての行動なのかもしれない。

だとしても、人々の純粋な思いである事に間違いはない。

確かにテロが行われたその背景にはもっと深い国際問題があるのかもしれない。

フランスがシリアに空爆したという事実があり、関係のない一般市民が犠牲になったのも事実であろう。

戦争やテロもそうだが、正義と言われる側のクローズアップされている被害者がいる反面で、報道もされずクローズアップされていない裏側の被害者もたくさんいるだろう。

もちろんそこも考えなくてはならない。

だけど、そういう想いである人が無差別空爆を支持してるのと一緒だとなるのはいかがなものか。

その軽はずみな行動がそういう意思表示になると言うならば、そんな人達は是非世界で起こっている問題の真実を常に伝えて教えて頂きたい。
そうなれば世の中の人の善意の気持ちはそこに対してきちんと向くだろう。

今になってフランスでこういうことが起きた時にみんなの純粋な思いに対して、おいおいシリアの事知っててやってるの?的な事を言いはじめる方がどうなのか?

後出しジャンケンみたいな感じで、それの方が気分が悪い。

その時にシリアの為に祈ろうじゃないかと、自分が前に出て言えばいいのだ。

その時にそれをしたらなにか都合が悪いのか?

日本という国も、もっとシリアなどの問題に目を向けてきちんとした報道をしているのだろうか?
後藤さんが伝えたかった事はそこにあるのではないだろうか。

だからこそフランスに祈るのをやめようじゃなくて、シリアの事もあったから、その事もきちんとみんなでもう一度考えを、知った上でみんなでシリアの事や世界平和を祈ろうじゃダメなのか?

片方側からばかり見ていたら、問題が悪化するのも間違いないだろう。

今回の件も裏を返せば世論を煽って、Facebookを利用する事でテロの報復への正義をつくり、正当化しようとしているのかもしれない。

それは誰も分からない。

ただそういう個人の思いに対して、影響力のある人がネット上でその軽はずみな行為はなになにに同調する事になるだの書き込む事によって、その純粋な思い自体もかき消されるぐらいの大きな渦を巻く。そちらの方が危険な気がする。

僕にはただの知ったかぶり達が後になって、自分の頭の良さや知識をひけらかしてるだけで、ほんとに平和を願ってるようには感じる事ができない。それこそテレビで責任のない発言をしている評論家と同じにしか見えない。

そんな人達やネット上で言いたい事を言ってる人達のどれだけの人が、他の人を納得させるくらいの行動をしてるのだろうか?

自分の知識と考えをそれらしく語り、ネットという都合のよい媒体に乗せて垂れ流しにしてるだけではないだろうか?

正しい知識を持っているなら、いろんな側面からの情報を公平に発信すればいいのだ。

そして、そんな人達は政治家にでもなればいいのだ。

祈りを捧げる事は小さな行動かもしれないが、まぎれもない真剣な気持ちである。
そんな人達の行動の目を摘もうとしていたら、それこそ世界に平和なんてこなくなってしまう気がする。

もっと正しい情報が流れて、自分もそうだし世界の人が世界で起きてる事にしっかり目を向けられるようになれば、今よりもっと優しさが世界に広がる気がしてならない。

今回の事で「テロを許さない」という事だけにとらわれてはいけない気がする。
ニューヨークやパリのような先進国の大都市がテロの対象になった時の過剰なまでの報道による「テロの弾圧」にだけ目が向いてしまったら、それこそ今までと何も変わらず同じ事の繰り返しになってしまう。

確かにテロは許されるものではないだろう。

だからと言ってそれを口実に無差別な殺戮ら報復を行っていても、それが正義な感じに報道するメディアによってたくさんの人達がコントロールされることが怖い。

みんなが偏った情報だけを見ないで、いろんな方向に目を向けられるようになれば、世界はまた少し違う方向に進むかもしれない。

普段こんな事であまり意見をいったりしないが、ちょっとイラっとした。