はい!ここのところ、遊びのテーマの一つに挙げている北条の城巡り

今回は北条氏初代「北条早雲」の旗揚げとなった経緯を追いながらのお散歩をしてきました。


と言ってもね😓

戦国の歴史は信長・秀吉・家康。

他を挙げるなら、武田、上杉、あと、島津とか?

北条なんてさぁ、田舎侍じゃね?

…と、私は思っていたのですよ

神奈川湘南で育ち、ずっと暮らしていたにも関わらずです。


近年、地元というだけでなく、北条に興味を持ったきっかけの一つが「城郭考古学」という存在、そう!千田嘉博先生ですね。

なんたって、楽しそうなんだもの、彼!

土盛りの田舎城って思っていた山城が、実はかなりの防衛強度を持っていたとか、戦術的に優れていたとかわかってきました

さらにはその山城の筆頭に北条の城があることもわかって、これは近いし、見なきゃーって思うようになったのです


もう一つは小田原駅に大きな銅像がある「北条早雲」という人

本人は北条と名乗ったことなどなかったそうで、伊勢新九郎盛時、改、宗瑞と名乗っていたそうですが…

子供の頃、一口に「何処の馬の骨かわからない侍が打ち立てた相模国」なんて聞かされていたのです。

けれども、近年の報告を聞いてみると、京都でそれなりの官僚の家から出て、今川に嫁いでいた姉?妹?に請われてお家騒動を取り成したところから、今川の武将になったこと。

更には、下克上戦国の始まりの人と判り、俄然興味が出ましたね。


⬆️こちらで、お家騒動や、その後の伊豆平定、更には相模平定が面白く簡単に書かれています

サザエさん一家になぞらえてるのには笑いました

また、相模平定の勢力範囲が、おなじく韮山を発祥とした鎌倉北条と源頼朝の初期の鎌倉勢力範囲に近いのも納得できました。


と、いう、流れの中

今回はそのお家騒動平定後、今川から拝領された最初の城「興国寺城跡」からスタート

ね、ただの原っぱでしょう?

奥に高く台地になっているのがわかるかなぁ?

下の原っぱが三の丸、台地の上が二の丸なのですよ


土塁と言われる防御壁


さらに登ると神社が祀られておりました

伊勢宗瑞の石碑と、廃城になった時の天野景保の石碑がありました


さらに登り伝天守台手前

眼下に沼津の街(平地)その先は一直線です

先端は沼津の千本松原でその向こうは駿河湾になります。


一度天守台まで登ってから、後ろの大空堀に降り立ちます



上が天守台

ここ登って攻めるのは無理💦


一周回って車に戻り、興国寺城跡は完了♪


次に訪ねた北条の城は北条と武田の海戦の本拠地となった長浜城跡です

ここはじつは初めてじゃ無いのですよ


数年前、お友達のsakuraさんと大人の遠足で海からの富士山見ましょうよーと訪れた場所


今回もちょうどお昼時に到着

整備された山城跡。奥は見晴台


眼下は湾になっており右前方は淡島(マリンパーク)、奥に富士山が綺麗でしょう?

三つ鱗の幟がいい感じ♪


武田との海戦当時の船の図


実物大の模型


武田との海戦?と言うのが、ちょっと驚きでした

甲斐の虎武田信玄は強大だったけど、海無し地区だものね。

でも、一度ならず大きな海戦があったようですよ。

現地のパネルや「沼津市文化財センター」にもパネルと共に解説がなされていました。


最後に回った北条の城は韮山城

初代伊勢宗瑞が興国寺城の後、伊豆平定の折に本拠地とした北条二番目の城です。

この後、宗瑞は箱根を越え1500年頃小田原城奪取、1516年には三浦氏を破って三浦半島までを平定します。二代目北条氏綱が小田原城を本拠にします。


登り始めて最初の標識の奥はテニスコート⁉︎

反対側のふもとが静岡県立韮山高校で、そちらのコートでした


静岡の山城は結構整備されているところが多い。

(そういう意味では神奈川の山城は市街地に埋もれて、どこにあるのかわからないところも多いです)


本丸から沼津方面を眺める

夕方雲が広がりましたが、手前の濃い稜線が愛鷹山

この奥に重なる薄い稜線が富士山です


真ん中の田んぼが印象的ですよね

鎌倉北条にしても、小田原北条にしても、この平野部の田んぼが発展の要だったと思えます


長浜城で海戦をした武田信玄ですが、甲斐の虎と呼ばれ強かったし、戦に明け暮れていました

しかし、甲府は領民の数に対して平地が少なく、山間地故に気候条件も厳しいため、米が取れにくかったといいます

信玄は領土安定のためには各方面に土地を広げ、作物を作らなければならなかった

狡猾にならなければ、民が飢えたのだと思う

一方で、小田原に本拠地を移した北条は、小田原城を堀で囲み、さらに土塁や外濠で周辺領民を丸ごと抱える政策を取ります

これが秀吉の小田原攻めの時の籠城につながっていくのです

温暖で前には相模湾、平野が広がり後方には丹沢大山山系、東西に伊豆箱根と三浦半島の防御

当時から神奈川は豊かな土地だったのだなぁ

相模国は、韮山城から見える田圃やその向こうの駿河湾や富士山を拡大したような領土だったのかもしれません。


そんなことを思いながら、北条始まりの山城を巡りました