今日、1月25日は、日本の最低気温を記録した日だそうだ。明治35年(1902年)1月25日、マイナス41度、北海道旭川市で記録とある。今日は、七十二候大寒の中候
「水沢腹堅(みずさわあつくかたし)」
と、沢の水が厚く堅く氷ってしまうという将に寒さのピークの頃。
それは、さておき歴史好きの者にとっては、この1902年という西暦は、
「日英同盟、日露戦争の2年前」
という感覚で捉えてしまう。実は、この頃印象に残っている悲劇が起きている。それは、映画にもなった「八甲田山雪中行軍遭難事件」である。
日本陸軍第八師団歩兵第五連隊210名が青森県の八甲田山での雪中行軍の訓練中に遭難し、199名が死亡した事件。
丁度この一番寒い時期に、これ程の雪中行軍の訓練が必要だったのか。それは、前の日清戦争で中国の厳しい冬に苦戦した経験から、もっと寒いロシアとのこの先の戦争に備える必要があった。既にこの頃ロシアは南下政策により、朝鮮、満州の権益をめぐり日本と対立しつつあった。こうした歴史的背景の中、日本史上最低の気温を記録した日に、奇しくも世間を震撼させる若者達の悲劇が起きたのである。
勿論、ロシアの脅威がなくとも、訓練としての雪中行軍訓練は行われていただろうけど、歴史と言うのは、大きな出来事について回る何らかの良き事悪しき事は起こっているような気がする。良き事に関して言うと、東郷平八郎の連合艦隊が日本海海戦で勝利出来たのは、最強のロシアバルチック艦隊が、ウラジオストックにおらず、西欧のバルト海におり、地中海回りとアフリカ回りの2航路を約半年以上かけて日本海にやって来た為、ロシア兵士の疲弊と日本側の十分な訓練(後に語り継がれる東郷ターンの成功)が出来た事が大勝利に結び付いた。これは歴史事件に付随する日本側の良き事だと感じている。もし、極東のウラジオストクにバルチック艦隊がいたとしたら、今こうしてのんびりと、グダグタブログ書いてる状態ではなかったかもしれない…おそろしや→おそロシア!
何か事が起こる事に備えて、早くから訓練や対策をとる事は、絶対必要なことだけど、その何かに目を奪われ過ぎて、今の情況を看過すると行軍遭難のような悲劇を生んでしまう。そんな悪しき例を作らないように、足元をみる事は大事だと思う。
今年初めて昼の本格的な雪を見ながら、最低気温を記録し、雪に倒れた多くの若い命に思いを馳せる中、今この身が置かれている暖かさ(部屋の暖房だけじゃない)みたいなものをつくづく感じてる、今齢六十七のじじぃです。

