今日は、意外なところで自分の変化にふと気づくことができました。
私はもともとあまり社交的ではないので、会社と一部の本当に親密な友だちくらいしか交友範囲がなかったのですが
ここ数カ月で各地の色々な年齢、職種の方々と接する機会があったことで
考え方が少し変わっていたのです。。。
「そんなの頭では分かっているけど…」という域だったのが「これでいいじゃん?」と自然と思えるようになっていたり。
もちろんまだまだ直すべき部分はありますが、この歳になって変化を感じることができるとは…という感じです。
ときどき相談をしていた人もびっくりしていました。
しかしながらそう昇り調子に事は進まないから傷ついても怯まず、本当に色々な人がいるから見る目を育てるよう言われました。
今日も頭がいたくなるくらいの暑さでした。
湿度が高く、水を飲んでも飲んでも足りずに、登りであっという間になくなってしまいました
東北の涼しさを味わってしまったので余計にダメージが大きいようです。
それでも、登りには日が陰り、高宮神社とその下では涼しい風も吹きました。
参道では巳さんが覗いていました。
暑いよ~と聞こえるのは私だけでしょうか??(笑)
お盆休みも終わり、人は少なくなりました。
お盆が終わっても供養は続きます。
今は、自分がなかなか思い通りにならない身体なので、いかにも「供養するために生活をしています」
という風に映るかもしれませんが、
一般の生活の中にあたりまえにそれがある生活を実現するための期間だと思っています。
供養している人が偉いとか、特別なことでなく当たり前のことだからです。
当たり前のことができないまま歳を重ねたくないし、それをしなくても何も問題なく生きている!といっている人も客観的に見れば「??」に映ります。
以前
「自分の課題から逃げていることは、苦しみの期間を自ら延ばしていることと同じだと思う」
と話していた方がいて衝撃を受けたことがありました。
その場をしのいでも“苦しみ”から逃げているのだから、逃げているようでも同じ状態、すなわち“苦しい”ままなのです。
私はその集団に身を置きたくないなと思うし、生まれ変わったとしても堂々巡りでなく、違う人生を歩みたい…。
今日会った人は、いかにも正論を語っているようで、ただ押し付けているだけで、結局他人の話も聞いていない…。
“偉い人”の言動や行動が問題となり、マスコミに取りざたされてガッカリすることがあります。
こんなに身近に出会うことがあるのだから、そのような人がトップに立つ集団など世の中にたくさんあるのだろうな…とますます残念な思いです。
日本どうなるの?という感じですね。
偉くなっても結局は大切なことを履き違えているから本当の意味で幸せになれないし、そんな人であふれているから投げやりになってしまうような世の中ができあがるのですね。
それに出会ってしまう私も、まだまだだなぁと。。。同じ波長を出しているのでしょう。
岩戸館の女将さんも言っていましたが、とにかく出会わないこと。
出会わなければ良い、そのための自分の質を上げていくことなのでしょう。堂々巡りをしていたら、周りは同じような人…生きにくくなっていくのですね。。。
また、平気で人の嫌がることをするのにいざ逆の立場になると激高してしまう人…
そして、今日はやっと因縁のアートメイクをとる処置をしてきました。
施術した当時は自分を変えたいと思い決断し、気に入っていました。それなりに似合っているとも思っていましたが、だんだん自分のスタイルと違ってきてしまいました。
しかも、後から知ったことですが施術したのが悪縁の人で…
時間が経てばとれる、と説明されていたので取れるのを待っていましたが薄くなってからが長く、これは消えないな…と思い決断しました。
けっこう痛かったし、しばらく見た目にも支障が出そうですが、人相も大事なので元に戻って人生が変わりそうな気分すらします。