今日は朝から快晴でした。
いつもと同じくらいの時間に家を出ましたが、夏休みだからか、
三輪へ向かう近辺の主要道路と、天理・奈良方面へ向かう車線がとても混雑しておりました。
そういえば、昨日も早朝に関わらず伊勢の内宮は団体さん等参拝客がたくさんいました。
母が勤めているところでも、思いがけない曜日や時間に混み始めたりするそうで、これからお盆にかけてはますます人の流れが読めませんね。
大神神社さんはそこまで混雑していませんでしたが、今日は朝から本当に気温が高く、
お山の登拝口に到着する前にバテバテ状態となってしまい…「どうしましょう!」という感じでした。
入山すると幸い、木のお陰で少しひんやりし、今日は足もあまり重くありませんでした。
奥津磐座につき時計を見ると、その感覚の割には時間がかかっており、奈良の夏の暑さの威力を思い知りました
神社にはこんな看板も…
日中はこれまで通り御神水をいただけますが、
今夏は雨が少なく水が足りないため、夜~早朝は止めますということです。。。
近くに住んでいるといつの間にか、お参りに行けば当たり前のようにいただけるという感覚に陥りがちですが
つい何年か前までは御神水の存在も知らず、引っ越してきても、お参りに行けなかったりしてお水に辿りつけない期間もたくさんありました。
当たり前になってしまっていることでも、本当はとてもありがたいということがたくさんあります。(…というより、すべてがありがたいことなんですよね…)
すべてのことに感謝できる、その心ができるまでがまた大変な道のりなのですが。。。
『こう思わなければならない!』と努力するのでなく、修行が進んでいけば自然とそう感じるようになるのでしょうね。(←まだまだ他人事です)
私のご先祖にはお稲荷様を粗末にした家があると数か月前の霊視で教えてもらいました。
お稲荷様は衣食住の神様です。
雨風をしのげる家に住み、食べるものに困らず…十分な生活をしているうちに
「全てはあたえてもらっているもの」ということを忘れ、自分の力、と感謝の気持ちを忘れてしまったのでしょう。
続いた世代は神様を粗末にしたことも知らずにそのまま放置してきたわけですから、今こうして私が不自由なく生活できているのも不思議なことだと思います。
社会に出て、一生懸命働いても着るものまでお金が回らず、家賃を払うのも自力では苦しい時期がありましたが、そんな目に遭っても仕方ない理由があったんだなと思いました。
霊界のシステムは、自分が過去世でしてきたことや同じような人種(性格や思想)の下に生まれ変わることになっているようです。
私自身もすぐに調子に乗ったり、当たり前、と思ってしまう傾向が強いです。
神様に限らず、手を差し伸べてくれる方々や生き仏のような存在は「○○してやっている」という気持ちや雰囲気はないのでごく自然です。
それに甘えず感謝の気持ちを忘れずにいられる心を育てたいと思いました。
昨日から眠気がひどいので今日も早めに祝詞の練習をして休みたいと思います。