首里城へ向かう前に
第一尚氏六代王のお墓を探しながら向かいます。
昨日の第二から第四王のお墓に続いて場所の詳細が分からなかったので不安が残りますが、
先日宗観先生は第一尚氏に関わる場所へ行くよう言われたばかりでしたので、導かれていたのか意外にあっさり到着することができました。
相変わらず私の立場は(第一or第二?)グレーゾーンですが、昨日のお参りでは特に身体に反応はなかったため特に心配することもなくご供養へ。
―「…?」車を停めた途端、左側の首が痛い
激痛でもなかったので降車しました。
3歩くらい進むと…今度は頭痛がしてきました。
少しすくみましたが先生がいらっしゃるので大丈夫、と思い階段へ。
階段を登り始めると、今度は寒気がしてきました
外気に吹かれたときとはまた違った体の中から震えるような寒さ。
どうやら歓迎されていない様子ですね…。
身体のあちこちが痛くなることはよくあるのですが寒気というのはあまりない体験で奥州の安倍一族の供養塔を訪れた時以来です。
まずお墓後部の碑を見てから墓前へ。
墓前まで行けたので念入りにご供養をさせていただいてきました。
このような強い場所は先生がいなければご供養に来られないので、ありがたいことですね。
碑をよく見ると納骨の日が平成21年と書いてあります。
帰る頃には、頭痛と寒気はとれました。
首里城へ向かいます。
ビーンという首の痛みは取れましたが、進んでいくにつれて再び首が重くつかまれているような感覚。それに伴い吐き気が・・・
ついでに体中がかゆくなってきてますます「??」状態が続きました。
ちょっと強力だったようです。
到着する頃には16時近くなっていたのですが、まだまだ駐車場に並ぶ列ができていました。
下の写真は正殿です。
無事に到着することができました。
立派な建物ですね!!
皆さんカメラをかまえています!
資料を見ながら進むと、首里城はやはり第二尚氏に関わりが深いんだ、と解ります。
建物をひと通り回って外に出るころ、もともとの土台を覗ける場所がありました。
戦争で壊れてしまって再建したので、当時からのものは、土台くらいしか残っていないそうです。
首里城はそんなに大変ではありませんでしたが、帰宅の道中もあちこちに不調が出てきて、宗観先生は私のそれを吸い込んでしまい大変な状況になってしまったので(申し訳ない…)
研修所に帰ってプチお祓いをしていただきました。
私のこういうのは想定内の部分もあったようで、半紙を持参して下さっていました。
事前にいうと私が身構えてしまい余計に体調が悪くなりそうなので、黙っていて下さっていたようなのですが、首里の辺りも戦争でだいぶ攻撃を受け犠牲が出た場所だったようです。
(普通は教えてもらう前に知っているのかな??)
大きな建物ゆえ目立ってしまったから空襲の対象になっただけではなく、中に人がたくさん立てこもっていたので攻撃されて、もとの首里城はなくなったとのことです。
建物が犠牲になっただけでなくたくさんの人が亡くなったのですね。
宗観先生が訪れた20?30?年前には守礼門がポツリとあり、それより先は記念公園のようなもので何もない状態だったそうです。
沖縄には悲しい歴史もたくさんあるので、お参りやご供養をさせていただくためには
影響に負けないような身体を作っていかなければいけませんね。
夕食後に再びめまいのような痛みのようなものが戻ってきてしまったため、戦いとなり、色々と皆さんに迷惑をかけてしまいました。