天気が良いこともあり、ご参拝に訪れた方がたくさんいて、私が行ったとき祓戸神社さんには列ができていました。
巳の神杉前
あちらこちらに、まだ大雪のなごりがあります。
狭井神社の手水舎の裏には「落枝の恐れのため通行止め」の看板が・・・。
三輪山はまだ入れません。
狭井神社の本殿にはまだ少し雪が残っていました。
今日は神社の緑の景色が光をたくさん放っているようにワントーン明るく見えました。
三輪山のちょうど150回目の登拝の日以来です。
その時は確かお山の中だけでしたので、境内の色が違って見えたのはもしかしたら初めてかもしれません。
帰りにはそんなことも忘れ、夕陽がキレイでしたのでブログに載せさせてもらおう!
と写真をパシャリ。
今日は少し疲れていたので一枚だけ撮ってそのまま帰りました。
記事に投稿するため写真を編集していると…
何か光が写っている・・・
撮った時には何も感じなかったので、何かの反射かな??と思い、拡大してみたのですが車が停まっている様子もない…。
一枚しか撮っていなかったのでブログに投稿する代用品も、比較して確認する方法もありません
自分のもとに残しておいて良い物かどうかも含めて先生に確認していただくことにしました。
結果、オーブの一種ということで、こうして載せられることになりました。
精霊さんのようなものらしいです。
日常の生活に確かに存在しているのですね。しかも駐車場!
聖地のような特別な場所にしかいない、と思いこんでいたのでとても驚きました。
今回はよくよく見てみたら
という感じでしたが、
これが「自分で何かを感じて撮ったら、やはり写っていたー」という風になったら、進歩の証ですね。
今日も霊視の場で日宗先生がおっしゃっていましたが、パワースポット(お参り)に行って、
『見えなくても良いから、(神様やパワーなど)気配を感じることが大事』
だということです。
それは、特別な霊能力をつけたいということではなく、『自分の身を護る』ということに通じるそうです。
五感を働かせ危険をキャッチする。≪見えない影響≫を跳ね返すことで本来の力を発揮する。
そう考えると、イキイキと生活したい!と願うすべての人に必要な感覚ということがよく分かります。
今回の沖縄研修所滞在中に、斎場御嶽でも似た感じの写真が撮れました。
この場所を通り過ぎる際に木漏れ日の強さが気になり、シャッターを切りました。御嶽ではその瞬間、画面越しに光がピカッと光るのが見えました。
(残念ながら、自分が「もしかして」と思っていた場所とは違いましたけど)
それでも、三輪の駐車場の写真のオーブのような良い物は撮影したことがなかったので、聖地に足を運ぶということの重要性を教えていただいた気がします。
アンテナを敏感にする力をいただけるのですね。
これが光の感じや雰囲気で「良い物かどうか」自分で判断できるようになったら、もっと楽しそうです。
それが日常生活においても選択を誤らないような力になっていくのだと思います。
そして御嶽の写真も、単純な反射なのか、精霊さんが来てくれたのか…どちらなのかを自分で感じることができれば他の人には味わえないものに触れ、より心豊かに生活していくことができるだろうな~と実感しました。
三輪山150回目のときにお山の中が違う色に見えたのは、その後の霊視で伺ったところによると節目のご褒美だったそうです。
基本的に100回が一つの目安になることが多いようですが、私の場合は諸事情によりその後の50回を登るまでに大変な苦労を強いられたので、そこで見せていただく形になったようです。
それ以降は、ごく稀に同じように見えることもありますがほとんどは嘘のように普通の景色に見えます。
150回目のご褒美の話を聞いてとても嬉しくなったのですが、それはあくまで『見せていただいたもの』。
自分の力で見たものではないのです。
「100や200は節目にはなるけれども、それは“通過点”であって修行に“終わり”はないんだよ」
「うぬぼれることなく感謝の気持ちを忘れずに」
とアドバイスをいただいて帰りました。