七面山奥ノ院の入り口に
『我張らずに顔晴って(がんばらずにがんばって)』
という「頑張る」ことについての張り紙がありました。
良い言葉だなとは思っていましたが真意が分かってきたのは最近のことです。
数年前の話ですが、1日に三輪山を何往復かしていた頃、登っていると急に背中に何か付いている感覚がしました。Tシャツの中に着ているものが丸まってしまったような、何かが付いているような感覚ですが触っても何もなっていません。
1回目下りてきても変な感じです。その日はTシャツの下に変わった形のタンクトップを着ていたので「当たりが悪いのだなー」と思い、2回目はタンクトップを脱いで登拝したのですがおかしな感覚はそのまま変わりません。
私生活で色々なことが重なった時期で疲れて精神的にも不安定でしたので、もう訳がわからなくて涙が出てきました。(私は至って真剣でしたが背中を触りながら半泣きで登拝して傍から見るととても不審な人物だったと思います…反省…)
泣きながらお参りしていると数人の先生方が下りてきて何かの霊の影響ではないか?とおっしゃいました。3回目下りてきたらだいぶ違和感は感じなくなったので、やはり霊なのだろうなーと思いながら帰宅しました。
それから、起きているときには毎日背中の上の方が張った感覚が続き、身体もだるくて起きていられないのでお昼過ぎにお山から帰ってきては暗くなるまで横になって、それからやっとのことで夕飯の支度という毎日を繰り返していました。
身体が丈夫なかたでしたらそんなに寝込む日が続けば、普通すぐ霊視へ行くでしょうが、その頃は寝ているのが当たり前くらいの状態でしたので予約を早めてもらうこともしていませんでした。
ようやく予約の日が来たのですが、その日は先生とほとんどお話せずいきなり霊視が始まったので「あー始まる前に言っておけばよかった…」と思ったのですが、杞憂でした。
途中、日宗先生:「最近、首肩背中がパンパンに張ることはないですか?」
(腰の曲がったおばあちゃんが彷徨っていらしたのでサインとして自分の痛い部分を私に体感させていたようです。)
私:まさにそう!!「今月に入ったくらいからずっとなんです。」
日宗先生「・・・うーんおかしいな…。ずーっと前からその症状が出てきているハズなんだけど。」
私:「?…こん…げつ…か…ら…ですが」
肩こりなどは中学生の頃から日常茶飯事でしたが、いくら思い返してもここまで寝込むほどの肩や背中の違和感は今までありませんでした。
↓家に帰ってからも「どういう訳かな…」とまた少し考えていたところ思い出したっ。
そういえば。。。それこそ日宗先生に出会うずーっと前から、母が吐き気がするほどの肩から背中の張り(もはや腫れ)を訴えよく寝込んでいてことを思い出しました。
あぁそういうことだったのか…。
またまた体験談が長くなりましたが、ここから本題に戻ります(汗)
その後、他のお弟子さんにご心配の声をかけていただいたので
「あの日は三往復目でやっと背中から外れて軽くなった感じがしました」とお答えしたところ
「三往復もしたの・・・?」
という反応が返ってきました。
その時は生意気にも「軽くなったのに何か問題があるのかな?」と思ったのですが、先生はその理由を説明しても当時の私には理解できないことが分かっていたのでしょう。それ以上何もおっしゃいませんでした。
そのため余計に心に何かが引っかかっていたのですが先生がお察しのとおり私には理解できないので仕方ないですね。(苦笑)
これは後になって直接聞いた訳ではないので予想も入っていますが、自力でそこまで(三往復)する必要はなかったのです。
それは我を育て『我張る』修行だったのでしょう。
三往復したら降ろせた!というのは『私の実力で』と勘違いしかねないことです。
そのことに自信を持ってしまったら、実力もないのにそれこそ『自分流』の道へ進んでしまい恐ろしいことなのです。。。
ここ最近『霊能者の寝言』コーナーの荒行するなかれ ・傲慢 の記事を読んでいたら、そんな出来事を思い出しました。
これらの記事は今までにも何度か目にしているはずなのですが、あぁこういうことか…と自分の行動と重ねて気づくことは難しいですね。