最近霊視で出てきてくれた親戚がいます。

直接の血縁はなく、ばあちゃんの兄弟の・・・といった関係の方です。以下Aさんとさせていただきます。


1年半ほど前、お腹が痛くて霊視していただいたときにもその方からのメッセージでした。

Aさんは私の親も赤ちゃんだった頃に亡くなっていますので、もちろん私も面識はないのですが、それでも霊視中先生に「○○な状態で亡くなった方はご先祖様にいますか?」と尋ねられお名前を即答できた方でした。

私は先祖と縁が薄いので、先生に尋ねられてもだいたい誰だか分からないのです・・・(情けない。)

そんな私がなぜ会ったこともなく直接の血縁関係もない方の存在を知っていたかと言えば、Aさんは私の耳にまで『すごく良い子だったのよ』と届いてくるくらいに皆に好かれる優しい方だったからなのです。


その人柄通り今回も日宗先生にとても丁寧に自分の状況をお話しされたようで、先生は「何かを分かってほしくてもなかなか姿を現してくれない霊もいるけど、こういう方は供養の想いが届きやすいんだよ」と言ってくださいました。


 それなのにどうしてまだそんなに辛い状況でいらっしゃるのかな…

1年半前から今回まで自分なりにご供養はしてきたつもりでしたので少しショックでしたが、思いが届かない理由は私が自分で考えるべきことなので先生はあえてその場ではおっしゃらなかったのだと思います。


 話は少し逸れますが、生まれ変われずに彷徨ってしまう霊というのはそれなりの理由があります。なので、もしその方の望みや想いをしっかり理解してご供養ができていたとしても『○年供養すれば次の世に行ける!』と決まっていないのです。

辛ければ辛いほど時間はかかりますし、彷徨った期間の長さも多少影響するのではないかと思います。

また、≪霊≫とひとくくりにしても皆私たちのように生きていた方ですので千差万別の個性を持っています。(亡くなってからも性格は生前とあまり変わらないと教えていただいたことがあります。)それが『供養に対する満足度』も人によって異なる理由だと思います。亡くなった理由もこの世に彷徨う理由もその方の性格も違うので当たり前と言えば当たり前ですが意外に気づかないことです。


先生方に出会うまで≪供養≫についてそこまで深く考える機会もありませんでしたし、したこともありませんでした。何も知らない始めのうちは多少、供養「してあげている」という感覚もありますので、「○年もしているのに、なぜまだ生まれ変われないのかな?」と思ってしまうこともありました。

先生方のようにプロではないので、もちろん私の力不足もあるでしょうがそれだけ辛い思いをしてきたので魂が癒されて生まれ変われる状態になるまでには時間がかかるのだろうな、と少し思えるようになってきた今日この頃です。



ふと思い出したので書いてみました。


前置きが長くなりましたが・・・


そんなわけで、今回の霊視後、「Aさんはもう1年半ほど前から私の身体に訴えてきていることになるな~」と考えていました。


・・・と思いきや


今回の七面山パワースポットに参加してまた新たに気づかせていただいたことがあります。


胃(だと思っていた所)の痛みが出る前から、Aさんは私が学生だった頃(10年以上前!!)から私に訴えて来ていてくれていたのでした。。。



こちらのコーナー初回のブログに記したとおり、学生時代から(日宗先生に出会うずーーっと前になります)様々な身体の不調に困り果てていたのですが1、2番というくらい困っていたのが『食』や『内臓』の問題です。


高校に入学したころからは、白いご飯(海苔を巻いておにぎりにしても…です)を見ると吐き気をもよおすようになりました。

そんな訳で

・朝は起きられず時間もなく食べられない

 無理やり食べても受け付けず…吐いてから学校に行ったことも度々です

・お昼も食べられない

 調子が良ければおかずだけ食べられる

 ご飯でなければ食べられるので休み時間のたびにミルキーや飴を食べて飢えをしのいでいました(汗)

・夜

 お腹は空いているのですが、絶食時間が長すぎて普通量食べると体が消化できずお腹の痛みや諸症状が起こるので満足に食べられない


3年間その生活が続いたので、よく生きていたなあ…と我ながら思います。
当時をよく思い返せば、なぜか休日だけは吐き気が起きないので白いご飯でもしっかり食べられていました。若さもありましたし、おそらくそのおかげで何とか命をつなげたのでしょう・・・

休日は夕方まで寝ていることもあったのですが、それでも2食は食べられていました。


なんとか高校を卒業し、大学生になり時間割がゆっくりになった途端、少し食欲が戻ったため

「あ、ストレス性の何かだったんだな~」

というくらいで片づけていたのです。

霊障害など知らなかった頃です。



どうしてそれらの症状がAさんにつながるかと言えば…

なぜならAさんは妊婦さんのまま(出産時)に亡くなった方だからなのです。


ご飯を見るとくる吐き気は「つわり」=妊婦


妊婦に気づいて!!


え、そういうことだったの?!

簡単なことかもしれませんが昨日やっと1つ気づくことができたのです。




 それから大学生になって


 高校生活と比べれば良くなっていたし、すでに「常に体調不良状態」が当たり前になってしまっていたので当時はそこまで気に留めていませんでしたが、≪今≫思い返すとまた大学時代もかなり色々な消化器系の問題に悩まされていました。

どのくらいの期間かは忘れてしまいましたが、長い間胃痛が続き、どんな薬も効かなかったので最終的に胃の「局所麻酔剤」のような薬まで処方されてしまいました。その薬も効きませんでしたので『私は相当ひどい病気にかかっているのだろうな…』と思っていました。

痛みで食事もとれませんし体もガリガリです。


(またまた話は逸れますがそれでも当時胃カメラ検査をしませんでした。何故だったかな・・・改めて考えるとその理由は絶望感でした。もちろん、胃カメラ飲むの怖いなー嫌だなーという気持ちもありました。しかし、それ以上に「どうなってもいいや」と思いながら生きていたな・・・と。

腹痛以外にも≪治療法のない病気≫や≪原因の分からない病気≫があり、さらに年に1回は何日も寝込むようなひどい風邪をひいていました。年々ひどくなっていくばかりです。そのため、すぐに死ぬとは思っていませんでしたが「こんなに身体が弱っているのだから若いうちに死ぬのだろうな…」と漠然と≪予感≫していたのです。

苦労して育ててくれた親にも本当に悪いことをしたな、と思っています。)


 当時は私も若いですし腹痛=胃痛か下痢の痛みの2種類しか知りませんでした。

もういいや、と思っていてもやはり痛みなく生きていたいので別の病院に行ってみました。痛む場所や痛み方をこと細かく説明するとそこのドクターの診断は『肋間神経痛』。そこで出されたのが湿布薬と、胃炎患者は避けなければならない痛み止め薬…

何の加減か分かりませんが、その頃痛みが治まりました。

「なんだ、肋間神経痛だったのか!」「胃が悪いんじゃないんだから胃薬飲んでも効くわけないよな~」

1年経たないうちにまた痛みが再発することなど知る由もなく…「あぁ良かった」と一安心でした。この時点でもまだ日宗先生には出会っていません。


今までのブログを読んでくださたった方はピンとくるかもしれませんが、これがその後


①せっかくの正社員採用をパートタイマーにせざるをえなかった

②その後の職場では2週間休職せざるをえなかった

痛みの始まりで、日宗先生に出会えたのは社会人になってからです。


そこまでして気づいてほしがっていたAさん・・・

ごめんなさい。

Aさんは50年以上の間赤ちゃんと一緒にツラい寂しい思いをしてきたので、まだまだ時間はかかると思います。

結婚したばかり、子どもを産んでまだまだ楽しいこともあったでしょう・・・。どんなに無念だったかと思います。


今回参加したことでまた色々なことに気づけて良かったです。


 何日か前の日宗先生のブログ で「すぐに答えは分からなくても諦めずに根気強く…」とありましたが、身をもって実感させていただきました。

何年か続けて行けば困りごとの解決方法を少しずつひも解いていけるのですね。


 この世界では努力は裏切らない 、という意味も理解できました。

 このような機会を作って下さり、準備し、運転して連れて行って下さった先生方、スタッフさん方

一緒に励ましあいながら登って下さった参加者さん方

そしてお導きいただいたお山の神々様

ありがとうございました。


 ※最後に一つ伝えておきたいのは、Aさんは決して私を苦しめたいがために障りを起こしたわけではないということです。

霊障(体調不良)の中には私の前世からの魂に恨みの念がある方の障り、また、私のしてしまった罪障の因果もありますが、Aさんは純粋に気づいてほしかっただけだと思います。


長い間待ってもらってしまいましたのでこれからもご供養していきたいと思います。



また、昨日分の記事は後日アップさせていただきますので良かったら読んでください。


今日はバタンキューです(笑)

おやすみなさい



たぶん文章もあまりまとまっていないのでその点は後日訂正します。駄文乱文失礼しました。