今朝は用事を済ませてからお参りに行きました。慌てて出かけたら携帯電話も忘れてしまい写真が撮れませんでした(すみません)。
いつもお会いする方は既に下山するところで「今日は旧暦の1月1日」だから「おめでとうという明るい気持ちで登っておいで~」と見送ってくださいました。教えていただかなければ気づくこともなかったのでラッキーでした。
昨日とは打って変わって快晴で、日差しも風も春のようです。
今日で1月も終わりなので一カ月の感謝を込めながらお参りをしてきました。思い返すと日々過ぎていくのはあっという間ですね。
1月は『行く(←だったかな?)』、2月は『逃げる』,3月は『去る』ということで1~3月はあっという間に過ぎていくんだよ~!と以前日宗先生がおっしゃっていましたが本当にその通りになりそうです。
学生の頃は、本当に毎日がツラくて逃げ出したかったので「早く終わらないかな~」、3年生になり卒業が近づいて来るとさらに「早く終わらないかな~」とばかり思っていたので、逆にとても長く感じていたのですが。
この一カ月も色々なことがありましたが、印象に残ったのは昨年の12月まで働いていた職場の先輩から年賀状が届いたこと。「体調が戻るようならまた一緒に働きたかったなぁ」という言葉をお二人からいただき嬉しかったですが…。
同時に一般の社会で≪霊障≫
を理解していただくのは本当に難しいなぁと思いました。
去年の3月にガクッと体調を崩してから特に、不定愁訴がひどく出勤してラストまで無事に職場にいるだけでいっぱいいっぱいだったのですがまだ働きたい、と思っていました。
やる気とは裏腹に身体はそのような状態ですので、次第に簡単なミスがポロポロ出るようになってきました。人手が足りないこともあり少しのミスでもフォローし合えず色々な人に迷惑をかけてしまいますし、いくら確認してもミスが出てこれはもうお給料をもらって仕事の責任を果たすのは無理だ…と判断しました。
そこで、退職願を出したのですが「体調が悪くなるコトもあるよ」「そんな時期もあるよ」と言われる毎日でした。そう言われてしまうと大きな病名がついているわけでもなく…どんな風にひどいの?と聞かれ説明しても相手にとってピンと来ないのは分かっているので悲しくなってきてしまいます。
実際の私の生活は限界ギリギリまで仕事をしているため帰宅した途端寝込んだり、翌日も午後の出勤時間まで寝ていることも稀でないような感じだったのですけれども。
倒れてはいけない、と気を張っていたせいなのか振り返ればG・Wやお正月など長期休暇に人知れず寝込んでいたことが多かったです。集中的に手当てなどをしていただいて休み明けには回復していたり、寝て寝て寝込んで回復しなくても休み明けには気力で出勤していたので、会社の人は≪体調が悪い≫なんて思わなかったでしょう。
(思えばこの職場で働いていた2年と少しの間、遅刻・早退は1~2回しかせず、休んだのも慢性膵炎(もどき)が急激に悪化した2週間だけでした。
フルタイムよりは楽な勤務体系なんだから一般的には当たり前かもしれないのですが私にしてはすごいことです。やっぱり三輪山の神様や先生方のお力はスゴい…)
人手が足りなくても我慢せずちょこちょこと早退などしていたらよかったのかな、などと今となっては思ったりもしますが…。病院での診断名も検査値の異常もないから学生の頃と同じくサボりや仮病に見られて、余計に信用を失っていたかもしれないですね…(続けていくのも辞めるのも)本当にむずかしいなぁ。。。
霊障を受けやすい身体なのも、他人に理解してもらえないような人生を歩むようになるのも自分(の前世でしたこと)の因果応報なので仕方ないですね。
こうしてツラい人生を歩まなければならなくなった理由や解決方法を気づかせていただく場や、先生方に出会えて私は本当にラッキーだと思います。
初めての日宗先生の霊視で「運は強いので大丈夫」と言われた意味がじわりじわり分かってくる今日この頃です。
今はこうして関西の地と縁を結ぶことができ、霊山に通える場所へ住んでいます。先生方に出会う前の道をそのまま進んでいたら間違いなく今頃危険な状態でした。(今でも危ういので間違いありません…)
ここにいるからといって将来が安泰なわけではありませんが、幸いこの世界は「努力は必ず報われる世界」ということなので
努力を怠ってまた堂々巡りにならないよう、この出会いをただの運の無駄遣いにしないよう、明日からまた気を引き締めて新しい月をむかえていかなければ・・・