私は親に五体満足に産んでもらいました。

赤ちゃんの頃は新生児室ですでにキョロキョロ首を動かし生後半年で言葉を発したそうです。歩き出す時期も早く音楽に合わせて踊っているような陽気な子だったようです。

夜泣きや人見知りがひどくて数名の人にしか懐かず、疲れている母親を困らせたようですが…。病気の話は聞いたことがありません。



幼稚園生の時の1番好きなのは泥遊び!


小学校にあがっても男の子と自転車をこぎまわしたり走り回ったりして遊ぶのが好きで、おてんば過ぎて担任の先生に怒られることもよくありました。

健康そのもののような子ども時代でしたが今思えば、朝起きるのが苦手で朝食もあまり食べられない傾向はその頃からありました。


少しつまずき出したのは6年生の時・・当時では珍しかった『学級崩壊』が起こりました。ただでさえ多感な時期なのに一部の生徒の罵声や暴力で授業すら成り立たない状態でしたのでクラスメイト皆が不安定になり友達関係もピリピリしだして気を使うようになりました。

 

 そのまま中学生になりましたが、好きな言葉は<根性><文武両道>です!というような負けず嫌いの性格だったので小6の頃の遅れを取り戻し1年生のうちに学年トップの成績まで追いつきました。

そこから3年間部活と勉強を両立させて、県内では有名な高校に合格しましたので周りから見たらうらやましく見えたと思います。しかし訳のわからない不調が次々現れ出したのは中学から高校にかけてがピークであり私にとっては辛い時期でした。

 

まず中学校に入るとどういうわけか教室で給食を食べるのがとても苦痛になりました。


朝食も元々あまり食べられないので、授業を受けて部活をして夕食までほとんど食べられない日もありました。急激な体重の減少により、ある病気を発症しました。最初は運動後にしか症状は現れず、高校1年生くらいまでそれほど日常生活にも支障が出ませんでしたので病院に行くことはありませんでした。そもそも、そんなの気のせいじゃない?というような聞いたこともない症状でしたので『病気』だとも思っていなかったのです。


まさか「県内では治療はできない」「専門の教授のいる大学病院で治療を受けても治らない」病気だったなんて・・・


それを皮切りに発症するのは

ほとんどすべての病気が

   原因不明か精神的なもの…


やる気満々で始まった高校生活だったはずなのですが、日に日に何のために学校に通っているのか分からなくなっていきました。


やっとのことで起床して登校しても授業中は様々な症状に襲われ、それに対処するだけで精一杯の状態で勉強どころでなく、休み時間も友達と話すことすらツラいのです。さらに子供の頃からの〈人見知り〉や〈恥ずかしがり屋〉も病的にひどくなりトイレに行くことすら大変な覚悟が必要でした。理由は分かりませんが人がたくさんいる廊下を通ることが怖いのです。


こんなにツラい状態でも何か命にかかわるような重病にかかっているわけでもなく、見た目は元気なので『遅刻魔』『サボり魔』としてしか見られていませんでした。



もう死んでしまいたいなと思うくらいのこともありましたが、どうにか良くなりたくて、生きていたくて、すがるようにネットで色々調べるうちに私はどうも精神的におかしいのではないかと思うようになりました。ちゃんとした知識を身につければこの状況も打破できるのでは・・・と大学は心理学を専攻しました。


誰にも分かってもらえない自分のような人を助けられるような人になりたいとも思っていました。



実際そのような仕事に就くことはありませんでしたが、大学の4年間は楽しく比較的穏やかに過ごすことができ、通わせてくれた親にも感謝の気持ちでいっぱいでした。



『もう大丈夫』



私も母もそう思いました。




新たに目指していた職業に正社員で就職することもできました。



 よし、これから…と思った矢先半年もたたないうちに手術をしなければいけない病気になってしまいがっかりしましたがその時は幸い2週間で退院できたので無事に復帰させていただけました。

ホッとしたのも束の間で、まさかこれが再び様々な病気の幕開けとなるとは思いませんでした。


それからまた何か月もたたないうちに急に座ってもいられないようなめまいに襲われました。ちゃんとした病名もある病気ですが根本から治すことは難しく一生付き合うようになるかも…との診断。



薬で抑えながらも仕事は続けて勤続1年以上が過ぎたある日胃に激痛が走りました。その頃は心当たりのあるストレスもあったので胃炎の薬を処方してもらいました。…が薬が効かない!!相当大きな穴でもあいているのだろうかと胃カメラを飲んでビックリ…



「そんな痛みを起こすような所見はどこにもありません」



それまで心配してくれていたドクターも「気のせいなんだからもう来るな」と言わんばかりの対応になりましたが、痛いものは痛いのです…

起きていられないのでせっかくの正社員から午後だけのパートになりました。


その頃やっと!!!!!日宗先生の存在を知ることになったのですが私は人より重たいものを背負っているようで、それからも目に見えないものの影響による体調不良や不定愁訴を繰り返しついに一般社会で働くことができなくなりました。



そうして途方に暮れて霊視を受けに行ったところ、

なんと!先生はその翌日から私がどうにか人並みに生活していけるような体に戻るため必要なことを≪誠の会≫でさせていただけるチャンスをくださいました。



これまで長くツラい道のりでしたがまだスタートラインに立ったばかりです。変われるチャンスはいただけたのですが(←ありがたいことです)そのチャンスを生かすも殺すも自分次第…。

同じように苦しんでいる方々に身を以て『大丈夫だよ』『治るよ』と言えるような人間になることが先生並びに受け入れてくださったスタッフさんへの感謝になるのだと思います。


初心を忘れないためにも第1回目のこのブログへ記させていただきます。