1862年のヨコハマで開業した  日本で最初のバーのバーテンを勤めていたのがマコーリー男爵と名乗るジャマイカ生まれの英国黒人であることは、横浜開港資料館のホームページなどを通じて、かなり知られているようです。この「マコーリー男爵」は、横浜開港関係の資料に英語でJames B.Macauleyと表記されている人物で、ワーグマンのスケッチの一つで、黒人としての姿が紹介されていることも 有名です。「男爵」を名乗っているものの、それは、あだなで実際には爵位を受けていたわけではないようです。当時、大英帝国で、「マコーリー男爵」と呼ばれる地位にあったのは、フランス側で革命のころに西アフリカのシエラレオネで植民地総督を勤めロンドンに戻った後、奴隷制度廃絶運動の活動家 であったZachary Macaulayの長男として1800年に生まれ、奴隷制度廃絶運動の活動家として行動し、Whig党の庶民院議員を勤めた後、1848年から出版した『イングランドの歴史』でベストセラー作家となり、貴族院議員としてなった際に男爵とされたものの、未婚のまま、1859年に亡くなったThomas Babington Macaulayだけであったはずです。そのマコーリーの血縁者に黒人がいたことは、現状では確認されていません。幕末から明治の初めにかけての日本に、「マコーリー男爵」を名乗る黒人がいたことが当時の日本で受け入れられ、 そのことがビジュアルも含めて、確認できるということはすごいことだと、私には思えます。なお、イギリスのトマス・ハビントン・マコーリーが奴隷廃絶運動の活動家としてロンドンでデビューした1826年に、西アフリカ の シエラレオネで生まれた 解放奴隷出身の人物がロンドンのトマスに因んで同じ名前とされ、その後、西アフリカのナイジェリアで教育者として活動したことは、日本でも、近年、知られるようになっているようです。「ヨコハマのマコーリー男爵」 が「マコーリー男爵」と名乗ったことの意味は、我が国でも、まだ考えてられていないようですので、今朝は、書いてみました。


 

 


 

 井野瀬久美恵氏のナイジェリアのマコーリーについての 論文が載っています。


 

 ナイジェリアのマコーリーのことにも触れられています。


 

  マコーリーを英領インドの視点で捉えた研究です!


 

 イギリス帝国についての新しい観点からの研究です。



 

 日本語で読めるナイジェリアの歴史についての概説です。