大河ドラマの『光る 君へ』の関連で、紫式部や藤原道長と同時期の貴族であった小野宮右大臣こと、藤原実資が 遺した日記から選んで、訓 読文に現代日本語訳と解説を添え、年表、系図、地図などを付けて、倉本一宏氏が編纂された角川 ソフィア文庫本の『小右記』(2013年)を読みました。 実資が漢文で書いた日記のうち、現在も伝えられている982年から1040年にかけての 部分の中から読者が関心を持つと思われる部分を選んだものなのですが、文庫本ながらも776ページもある大冊です。 藤原道長や藤原行成とともに、日記を記したことが知られていて、 千年を経た現在も、道長や行成のものと同じく、伝えられ、研究されているということたけでも凄いのと思います。そして、この 実資の日記は、藤原道長が詠んだあの「この世 をば~」という和歌を伝えていることで有名なのですが、それ以外にも当時の貴族たちが政務や儀式、あるいは権力闘争と向かい合った姿勢というものが伺われる優れた資料と思えます。養父実頼の弟の孫にあたる道長兄弟に対して実資が抱いていた対抗心の強さを窺わせる記事が執られているほか、刀伊による侵略、平忠常の乱、仕える人びとが起こした数々の騒ぎに対して、貴族たちが、どのように対処するための審議を行っていたのかが、わかる資料に本書はなっているように思えます。道長らへの対抗心が表に出ているように思える記述が至る所でみられることもあって本書の記述を読むことは楽しく思えます。

 『光る君へ』の今回の放送の中にも出てきたのですが、紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』、あるいは『更級日記』のような和文が日本の文化の中で重視される時は、まだ訪れてはおらず、道長たち貴族の若者たちが自分で漢語で詩を創ることが当たり前と思われていた時代 でした。一条天皇の皇后藤原定子に仕えた清少納言と 中宮彰子に仕えた紫式部が、ライバルになるのは、まだ定子も彰子も生まれてはいないの で、ずっと未来のことになるのですが。なお、漢語や漢詩がこの時代の貴族たちの教養の基礎になっていたのは、疑えないようです。また、一条天皇に唐の太宗皇帝の時代を理想化した政論書『貞観政要』を講義したのは、今回も登場し、道長の時代を頂点とする和文の歴史書『栄花物語』 を後に著すことになる赤染衛門の夫だそうです。

 本書に記されている実資の感情は、『光る君へ』を観る時の、年表や系図とともに、手がかりになるように、私には思えます。